高校世界史B
5分でわかる!ベトナム・インドネシアの民族運動

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この動画の要点まとめ
ポイント
ベトナム・インドネシアの民族運動
これでわかる!
ポイントの解説授業

ポイントの1つ目は「ベトナム・インドネシアの民族運動」です。
ヨーロッパによる支配に対抗し、ベトナムとインドネシアで起こった民族運動について学習します。

まずは ベトナム から見ていきましょう。
ベトナム民族運動/ファン=ボイ=チャウの活躍

19世紀後半以降、ベトナムは フランス による支配を受けていました。そんなベトナムで、ある人物がフランスからの独立を目指して立ち上がったのです。それが ファン=ボイ=チャウ でした。

彼は1904年に 維新会 を立ち上げると、 明治維新 後に急速な近代化を進める 日本 に留学生を送る ドンズー運動(東遊運動) を組織しました。

ファン=ボイ=チャウは 日露戦争における日本の勝利 に感動し、日本を見習ってベトナムの近代化を進めようと考えたのです。

ただし、肝心の日本がフランスの味方をしたため、ドンズー運動は弾圧されてしまいました。そこでファン=ボイ=チャウは維新会を解散して ベトナム光復会 を結成し、今度は中国に接近していきました。
インドネシア民族運動/サレカット=イスラームの結成

続いては インドネシアの民族運動 に注目します。当時のインドネシアは オランダ に支配されており、 オランダ領東インド と呼ばれていました。こちらを見てください。

インドネシアでは次第に民族的な意識が高まり、1912年に サレカット=イスラーム と呼ばれる組織が結成されました。 イスラーム同盟 ともいいます。

サレカット=イスラームは商人や知識人を中心に組織を拡大していき、オランダに対して自治を要求するなど 民族運動の中心的役割を担うようになっていきました。

ベトナム・インドネシアの民族運動、しっかり覚えておきましょう。

帝国主義とアジアの民族運動、第2回。
今回は「東南アジアの民族運動」について学習します。