高校世界史B
5分でわかる!イランの立憲運動の行方
- ポイント
- ポイント
- 練習
この動画の要点まとめ
ポイント
イランの立憲運動の行方
これでわかる!
ポイントの解説授業
アフガーニーがパン=イスラーム主義を提唱
まず、イランで起きた民族運動に大きな影響を及ぼした人物を紹介します。こちらを見てください。
19世紀に活躍した アフガーニー は、イスラーム教徒の団結を訴える パン=イスラーム主義 を提唱しました。全てのイスラーム教徒が力を合わせ、欧米列強の帝国主義に対抗しようと主張したのです。
彼の思想は、この後に紹介する運動に大きな影響を与えることになりました。
タバコ=ボイコット運動
アフガーニーの思想に大きな影響を受けたのが、1891年に発生した タバコ=ボイコット運動 でした。こちらを見てください。
イランの王朝が イギリス人業者にタバコの生産・販売などの独占的権利を認めた ことをきっかけに、イランの商人・知識人など幅広い層が反対運動を起こしました。
タバコ=ボイコット運動は、アフガーニーの思想に強い影響を受けた民族運動でした。
イラン立憲革命
やがてイランでは 憲法制定を求める動き が見られるようになりました。ちなみにこの動きには 日露戦争 が影響を与えています。
明治維新で憲法を制定し、列強ロシアを破った日本を見習い、イランでも憲法を作ろうという声が高まったのです。
1905~1911年、 イラン立憲革命 が発生しました。イギリス・ロシアの侵略や、これに従属する政府に民衆が反発したのです。
しかし、1907年にイギリス・ロシアは 英露協商 を締結し、ペルシア(イラン)分割を行いました。イラン北部はロシアに、南部はイギリスに支配されることになったのです。
イギリス・ロシアはイラン立憲革命に干渉し、イランの議会は閉鎖されてしまいました。ポイント1でオスマン帝国が憲法復活に成功したのに対し、イランの立憲運動は挫折してしまったのです。
ポイントの2つ目は「イランの立憲運動」です。
19世紀末~20世紀初頭にかけて、イランでも 民族運動 や 立憲運動 が起こりました。詳しく見ていきましょう。