5分でわかる!ロシア・フランス・イギリスに囲まれたドイツの戦術とは?
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この動画の要点まとめ
ポイント
西部戦線
第一次世界大戦で、ドイツは地理的に不利な状況にありました。 東のロシアと西のフランスに挟まれ 、さらに海の向こうのイギリスも敵にまわしていたのです。かなり不利な状況だといえます。
この状況を想定し、ドイツでは 短期決戦作戦 が立てられていました。まずは 西部戦線 に戦力を集中させて短期間でフランスを倒し、そのあと 東部戦線 に軍隊を回してロシアを倒す、という作戦です。
この作戦の通り、ドイツはまずフランスの首都パリを制圧しようと考えました。そこでドイツは 中立国ベルギー を通過してフランスへ侵攻したのです。
ベルギーはフランスに隣接しており、パリへの侵攻にはもってこいです。そこでドイツはベルギーの中立を侵犯したのですが、これは イギリスに参戦の口実を与えることになってしまいました。
フランスに侵攻したドイツ軍は マルヌの戦い でフランス軍と衝突しましたが、なんと敗北してしまいました。フランスを短期決戦で倒そうというドイツの目論みは、早くも狂ってしまったのです。
東部戦線
一方、ロシアとの戦い( 東部戦線 )はどうだったのでしょうか?
ドイツ軍とロシア軍は タンネンベルクの戦い で激突しました。ちなみに時期的には、この戦いの方がマルヌの戦いよりも先に行われているので注意してください。ドイツがフランスへ侵攻中、ロシアがドイツ領に侵入してきたのです。
タンネンベルクの戦いで勝利したのは ドイツ でした。ただ、この後ドイツはロシアへと侵攻するのですが、侵攻した先ではロシア軍に敗れてしまいました。
こうして陸上における戦いはこう着状態となり、ドイツが目論んだ「短期決戦」を実現することはできなかったのです。
海上の戦いでは、ドイツは強力なイギリス艦隊に苦しめられました。そこでドイツが考えたのは 潜水艦 による攻撃作戦でした。
ドイツの潜水艦が艦隊や商船を攻撃する中、イギリスの豪華客船 ルシタニア号 が撃沈する事件が起こりました。この事件で多くの乗客が犠牲になったのですが、実はその中には 多数のアメリカ人 が含まれていたのです。
この事件は、後に アメリカが第一次世界大戦に参戦するきっかけ となりました。
ポイントの2つ目は「ドイツの短期決戦作戦」です。
第一次世界大戦当初の戦局を、 ドイツ にスポットライトをあてて紹介します。