5分でわかる!日本の参戦!イタリアの裏切り!?
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この動画の要点まとめ
ポイント
ポイントの1つ目は「日本とイタリアの参戦」です。
まずは 日本 が第一次世界大戦に参戦するお話です。
日本の参戦/中国のドイツ領を攻撃!
1914年8月、第一次世界大戦に 日本 が参戦しました。参戦の口実になったのは 日英同盟 です。同盟国イギリスを支援するという名目で、イギリス側(協商国側)で参戦しました。
第一次世界大戦の主戦場はヨーロッパです。では、日本がヨーロッパに軍隊を送ったのかというと…そうではありませんでした。日本は、イギリスの敵である ドイツ が有する 中国領土 を攻撃し、膠州湾や 青島 を占領したのです。
大戦中、日本の 大隈重信 内閣は、中国に対して 二十一カ条の要求 と呼ばれる様々な要求を突きつけました。ちなみに大隈重信は 早稲田大学の創設者 として知られています。
さらには ドイツ領南洋諸島を占領 するなど、日本はアジアにおける勢力拡大を進めていきました。
イタリア参戦/三国同盟を裏切った!?
続いては イタリアの参戦 です。ドイツ・オーストリアと三国同盟を結んでいたイタリアは、1915年に参戦しました。ただし、同盟国側ではなく 協商国側 での参戦でした。
第一次世界大戦が始まったのは1914年7月でしたが、イタリアが参戦したのは1915年5月でした。この間、なんと協商国側の イギリス・フランス がイタリアに接近し、「 未回収のイタリア 」の一部を割譲することと引き換えに参戦を要請していたのです。
イタリアは取引に応じ、 三国同盟離脱 を宣言して協商国側で参戦することになりました。
イギリスの秘密条約/現代まで続く「中東問題」の根源!
第一次世界大戦中のイギリスは、戦争を有利に進めるために 3つの秘密条約 を締結しました。こちらを見てください。
1つ目は フセイン・マクマホン協定 です。イギリスは、ドイツ側で参戦していたオスマン帝国を倒すため、帝国内のアラブ人を利用しようと考えました。 アラブ人国家独立 を約束することで、オスマン帝国に対しアラブ人の反乱を起こさせようとしたのです。
2つ目は サイクス・ピコ協定 です。オスマン帝国を英・仏・露で分割しようという取り決めですが、これでは アラブ人国家の独立と矛盾してしまいます。
3つ目は バルフォア宣言 です。イギリスは パレスチナ におけるユダヤ人国家建設を支援する見返りに、戦争資金を出させようとしていたのです。そして、このパレスチナは オスマン帝国領 でした。
これら3つの秘密条約は、第一次世界大戦以降に問題となり、さらに現代まで続く 中東問題 の原因となっているのです。
インド自治の約束も…
さらにイギリスは、インドに対し 戦後自治の約束 をしました。勝利するために必死のイギリスは、戦争に協力してもらおうと自治の約束をしたのです。
ただし、インドが自治を獲得することになったのは、まだまだ先の話でした…
第一次世界大戦とロシア革命、第3回。
今回は「第一次世界大戦の戦局」について学習します。