5分でわかる!二重権力の時代
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この動画の要点まとめ
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臨時政府の成立/戦争継続の方針は崩さず
二月革命でニコライ2世が退位したことで帝政が終わり、ロシアは 共和政 の時代を迎えることになりました。君主(国王や皇帝)をおかない政治体制のことを共和政といいます。
皇帝の退位後、ロシアでは 立憲民主党 という政党が中心になって 臨時政府 が発足しました。
少し脱線しますが、ここで ロシアの政党 を確認しておきましょう。みなさんは 4つの政党 をおさえてください。
1つ目が 立憲民主党 です。比較的裕福な人たち(ブルジョワ階級)が支持基盤でした。2つ目は 社会革命党 です。こちらは農民たちから支持を集めていました。
3つ目は メンシェヴィキ 、4つ目は ボリシェヴィキ です。両者はもともと1つの政党でしたが、党の方針をめぐって分裂しました。社会革命党・メンシェヴィキ・ボリシェヴィキは 社会主義 の考え方を持っていました。
話を戻します。この4つの政党の中で 立憲民主党 が、二月革命後に成立した臨時政府の中心となったのです。ちなみに、臨時政府は 戦争継続の方針を崩しませんでした。 戦争を継続することのメリットを重視したのです。
ソヴィエトは即時講和を主張!
臨時政府は戦争継続の方針を崩しませんでしたが、食糧不足で苦しむ民衆の中には 戦争の中止 を求める声ももちろんありました。そうした声を代弁したのが ソヴィエト です。
ソヴィエトの中心勢力は、先ほど紹介した4つの政党のうち 社会革命党 と メンシェヴィキ でした。戦争の継続を主張する臨時政府に対し、ソヴィエトは 即時講和 を主張して対抗しました。
このように、二月革命後に臨時政府とソヴィエトが並立した状態を 二重権力 と表現します。お互いが政治権力を持っていながら、両者の意見は食い違っていたのです。
レーニンが「四月テーゼ」を発表
そんな中、臨時政府にもソヴィエトにも属さない、 ボリシェヴィキ の指導者であった レーニン が頭角を現すようになりました。
彼は「 四月テーゼ 」を発表し、「 すべての権力をソヴィエトへ 」と主張しました。戦争継続を主張する臨時政府を倒し、権力をソヴィエトに集め、 戦争の即時講和 を実現しようとする方針を示したのです。
臨時政府はこの主張を受け入れず、ボリシェヴィキの弾圧に乗り出しました。これを受けて、レーニンは亡命することになりました。
ケレンスキーが臨時政府の首相に就任!戦争継続の方針は崩さず…
ボリシェヴィキを弾圧したのは 社会革命党 所属の ケレンスキー という人物でした。彼は ソヴィエト の指導者でしたが 臨時政府の首相 にも就任しました。
戦争の即時講和を訴えるソヴィエトの指導者が臨時政府の首相になったことで、戦争が終わるかと思いきや…なんとケレンスキーは 戦争継続の方針を崩しませんでした。 彼は賠償金支払いや領土割譲を嫌い、戦争継続を主張したのです。
授業の序盤で、みなさんに4つの政党を覚えてほしいと言いましたね。 立憲民主党・社会革命党・メンシェヴィキ・ボリシェヴィキ の4つです。
立憲民主党 を中心とする臨時政府は戦争継続の方針を崩さず、 社会革命党・メンシェヴィキ を中心とするソヴィエトの指導者ケレンスキーが首相になっても、戦争継続の方針は変わりませんでした。
残る政党は1つしかありません。そう、このあと、戦争の即時講和を求める民衆の期待は、レーニン率いる ボリシェヴィキ に集まっていくことになるのです。
ポイントの2つ目は「臨時政府とソヴィエト」です。
ロシア二月革命 で皇帝が退位した後、ロシアでは誰が政治の実権を握ったのでしょうか?詳しく見ていきましょう。