5分でわかる!国内は混乱!外国勢力も干渉!どうするロシア…
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この動画の要点まとめ
ポイント
ポイントの1つ目は「内戦と対ソ干渉戦争」です。
前回の授業では ロシア十月革命 を経て、 レーニン 率いる ボリシェヴィキ が、ソヴィエト政権において 一党独裁体制 を築いたお話をしました。この授業ではまず、その独裁体制に反発して起こった 内戦 と呼ばれる国内混乱に注目します。
内戦
ロシア国内では、レーニンの独裁に反発する人たちが 反革命軍(白軍) を組織しました。白軍はソヴィエト政権に対して武装蜂起を起こし、ロシアは 内戦 状態となりました。
ソヴィエト政権が設立した軍隊を 赤軍 といいます。赤は社会主義の色です。この赤軍に対する勢力として、反革命軍は「白軍」と呼ばれたのです。赤軍と白軍の戦いを 内戦 といいます。
対ソ干渉戦争
内戦が勃発して混乱状態となったロシアに対し、なんと 外国勢力も干渉してきました。 1918~1922年に行われたこの武力干渉を 対ソ干渉戦争 と呼びます。各国はロシア革命の影響が広がることを警戒し、ボリシェヴィキ政権を打倒しようと考えました。
武力干渉を行う際、欧米諸国や日本は「チェコ軍団の救出」を大義名分に掲げました。第一次世界大戦でロシア軍の捕虜となったチェコ兵たちが暴動を起こしたことを受け、彼らの救出を口実に武力干渉を行ったのです。
チェコ軍団救出を掲げるアメリカや日本は、共同で シベリア出兵 を行い、目的どおりチェコ兵捕虜の救出に成功しました。ただし、チェコ兵たちが帰国した後も、ロシアにおける勢力拡大を狙う日本はシベリアの占領を続けました。
1920~1921年には、領土拡大を目指すポーランドがロシアに侵入したことで戦争が起こりました。これを ポーランド=ソヴィト戦争 といいます。
この戦争はポーランドの勝利に終わり、ロシアは領土の一部を奪われてしまいました。
ソヴィエト政府の対応
1919年、レーニンは コミンテルン を設立しました。コミンテルンは世界各国の革命を指導する機関です。
さらにレーニンは、内戦の時期に 戦時共産主義 という経済政策をとりました。農民から穀物を強制的に徴収し、都市の住民や兵士に配給するなど、内戦や諸外国の干渉を乗り切るために実施された政策です。
ただし、戦時共産主義は国民から不満を集めました。例えば農家の立場からすると、頑張って穀物を作っても政府に徴収されてしまうのでは、やる気が起こりませんよね。こうしてロシアでは 農業や工業の生産が低下してしまったのです。
これを反省したレーニンは、対ソ干渉戦争が終わろうとしていたタイミングで 新経済政策(ネップ) を実施しました。穀物の徴発をやめたり、小規模な私企業や小農の経営を認めたりしたのです。小農の経営とは、農民が余った農作物を自由に販売することだと考えてください。
新経済政策の実施によってロシア経済は回復に向かい、生産は1927年に戦前の水準にまで戻りました。
こうしてレーニンは、内戦と対ソ干渉戦争の危機を乗り越えました。次のポイントでは、ロシアを中心として新たな 社会主義国家 が誕生する様子を学習します。
第一次世界大戦とロシア革命、第6回。
今回は「内戦と諸外国の干渉」について学習します。