高校世界史B
5分でわかる!第一次世界大戦後の西アジア情勢
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この動画の要点まとめ
ポイント
第一次世界大戦後の西アジア情勢
これでわかる!
ポイントの解説授業
アラビア半島の情勢/サウジアラビア王国の成立
第一次世界大戦後の西アジアでは、 アラビア半島 に独立国家が誕生することになりました。1916年、メッカの首長 フセイン がヒジャーズ王国を建国したのです。ちなみにこの フセイン という名前、聞き覚えはありませんか?
大戦中、イギリスは秘密条約 フセイン・マクマホン協定 を結びました。そう、彼こそがこの「フセイン」なのです。フセインは大戦後の アラブ人国家建設 を条件に、イギリスへの戦争協力を約束しました。
フセインはこの協定に基づきヒジャーズ王国を建設したのですが、なんとイギリスはフセインを裏切りました。 イブン=サウード という人物を利用し、ヒジャーズ王国を征服させたのです。
その後、イブン=サウードはアラビア半島の大部分を統一して サウジアラビア王国 を建国しました。ちなみにサウジアラビアとは「 サウード家のアラビア 」という意味があります。
英仏による委任統治/現代まで続く中東問題の原因!?
第一次世界大戦後、アラビア半島以外の旧オスマン帝国領では 委任統治 が行われるようになりました。国際連盟が領土を預かり、その統治を先進国に委ねる統治方式を委任統治といいます。
旧オスマン帝国領のうち、 イラク・パレスチナ・トランスヨルダン はイギリス、 シリア・レバノン はフランスの委任統治のもとにおかれることになりました。
統治にあたり、イギリス・フランスは自分たちに都合の良いように国境線を定めました。この国境線は 民族や宗教の違いを無視 して引かれてしまったため、後に民族対立・宗教対立が発生することになりました。そう、この国境画定は現代まで続く 中東問題 の原因となったのです。
大戦後の西アジア地域の動向と、英仏による統治が中東問題の火種となったことをおさえておきましょう。
ポイントの2つ目は「大戦後の西アジア情勢」です。
西アジア といえば、第一次世界大戦の敗戦国 オスマン帝国 が支配していた地域です。オスマン帝国が敗戦国となったことで、この地域にはどんな動きが見られたのでしょうか?