5分でわかる!第一次世界大戦後のドイツ国内の混乱!
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この動画の要点まとめ
ポイント
ポイントの1つ目は「ドイツ革命とヴァイマル国民議会の開催」です。
第一次世界大戦で敗戦国となった ドイツ で見られた 国内混乱 について学習します。
ドイツ革命の発生/第一次世界大戦の終結
第一次世界大戦末期、ドイツ国内で革命が発生しました。
1918年11月、戦争に反対する兵士たちによる キール軍港の水平反乱 が起こると、各地で兵士や労働者が レーテ(評議会) を結成するようになりました。
レーテは労働者や兵士の代表が集まる会議で、ロシアで成立した ソヴィエト と同様の組織です。ドイツではレーテ、ロシアではソヴィエトと呼ばれました。
革命の動きは全国へ広がり、ついに皇帝ヴィルヘルム2世が亡命しました。皇帝不在となったことで ドイツ共和国 が成立し、政府は連合国と ドイツ休戦協定 を結びました。こうして第一次世界大戦は終結したのです。
社会主義革命を目指す武装蜂起が発生!
第一次世界大戦中、ドイツでは 社会主義革命を目指す組織 が結成されました。その名も「 スパルタクス団 」です。スパルタクス団の中心的な指導者は、 カール=リープクネヒト と ローザ=ルクセンブルク の2人でした。
スパルタクス団は終戦後に ドイツ共産党 と改称すると、1919年には社会主義革命を目指して武装蜂起を行いました。しかし、この動きは軍部によって鎮圧され、2人の指導者も殺害されてしまいました。
ヴァイマル憲法の採択
その後のドイツでは 民主的な国づくり が進められました。
1919年、ドイツの ヴァイマル(ワイマール) で国民議会が開催されました。議会の多数を占める社会民主党の中から、 エーベルト という人物が大統領に選出されました。
ヴァイマル国民議会では、 ヴァイマル憲法 と呼ばれる憲法が採択されました。主権在民、男女平等の普通選挙、労働者の団結権・団体交渉権の保障など、その内容は当時 世界で最も民主的 だと称えられました。
こうして世界で最も民主的な憲法を持つ国となったドイツでしたが、今度は ある問題 に悩まされることになりました。次のポイントで詳しく見ていきましょう。
第一次世界大戦後の欧米諸国、第3回。
今回は「敗戦国ドイツの復興」について学習します。