5分でわかる!世界でもっとも民主的な国が抱えたトラブル!
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この動画の要点まとめ
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インフレ、クーデタ、武装蜂起…国内は大混乱!
1919年、 世界で最も民主的 と称えられた ヴァイマル憲法 を制定したドイツは、憲法の名前をとって ヴァイマル共和国 と呼ばれるようになりました。
ヴァイマル共和国は ある問題 に悩まされていました。それは、第一次世界大戦の 賠償問題 です。敗戦国となったドイツは、到底払うことのできない 莫大な賠償金 を課せられていました。
賠償金を支払えないでいると、なんと工業地帯 ルール がフランスに武力占領されてしまいました。フランスのルール占領に対し、ドイツはこの地域での工業生産を停止することで抵抗を行いました。
その結果、ドイツでは物価が跳ね上がり、深刻な インフレーション(インフレ) が発生しました。物価が高騰した結果、貨幣の価値が暴落し、ドイツ経済は破綻寸前にまで追い込まれてしまいました。
インフレの進行に加えて、皇帝政治の復活を目指す軍部クーデタや、ドイツ共産党の武装蜂起が発生するなど、ヴァイマル共和国の経済や政治は非常に不安定な状態でした。
シュトレーゼマンの経済改革
1923年に首相となった シュトレーゼマン は、国内の混乱をしずめるため、まずはインフレ収束に乗り出しました。彼は対立する政党も含めて 大連合内閣 を組織し、団結してインフレ対策に臨みました。
シュトレーゼマンは レンテンマルク という新しい通貨を発行しました。銀行からレンテンマルク紙幣を発行し、従来の1兆マルクを1レンテンマルクと交換したのです。
シュトレーゼマンの政策は成功し、見事インフレを収束させることができました。
シュトレーゼマンの外交
インフレを収束させたシュトレーゼマンは内閣を解散し、新大統領 ヒンデンブルク のもとで外務大臣となりました。
シュトレーゼマンは 国際協調外交 を展開しました。1925年には西欧の集団安全保障を規定した ロカルノ条約 に調印し、翌年には 国際連盟への加入 を果たしました。さらに、1928年には 不戦条約 を締結したのです。
以上、ヴァイマル共和国の混乱とシュトレーゼマンの活躍でした。しっかり覚えておきましょう。
ポイントの2つ目は「ドイツの国内混乱」です。
ヴァイマル憲法を完成させ、民主国家として歩み始めたドイツ。ポイント2では、そんなドイツが抱えた「トラブル」について学習します。