5分でわかる!戦勝国なのに混乱するイタリア
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この動画の要点まとめ
ポイント
ポイントの1つ目は「フィウメ問題と戦後不況問題」です。
第一次世界大戦で戦勝国となった イタリア は、戦後に様々な問題を抱えることになりました。詳しく見ていきましょう。
フィウメの領有をめぐる問題
少し復習です。
イタリアが第一次世界大戦に参加したのは、イギリス・フランスと ある約束 を交わしたからでした。その約束とは、英仏の味方として参戦する代わりに「 未回収のイタリア 」を譲渡してもらう、というものでした。「未回収のイタリア」とは、イタリア人が多く住んでいるにも関わらず、他国に領有されている地域のことです。
終戦後、イタリアは 南チロル や トリエステ の領有を認められました。しかし、イタリア人が多く暮らす フィウメ という地域は ユーゴスラヴィア領 となったのです。
フィウメをめぐり、イタリアとユーゴスラヴィアとの関係は悪化していきました。両国の対立を見かねた国際連盟は、1920年にフィウメを自由市とすることを決定しました。つまりフィウメは 国際連盟の管理下におかれることになったのです。
こうして、領土を増やすことができなかったイタリアは、ヴェルサイユ体制に不満を持つようになりました。
戦後の不況問題
戦後のイタリアは、深刻な 不況 に悩まされました。第一次世界大戦中、多くの物資を前線に送ったため、国内では物資が不足しました。労働者の給料は低く、失業者の数も増えていました。
こうした状況の中、北イタリアでは労働者たちが工場を占拠し ストライキ を行う事件が発生しました。集団で仕事を放棄し、自分たちの要求を通そうとしたのです。
労働者の味方が労働者を裏切った!?
北イタリアのストライキは結局、政府によって鎮圧されてしまいました。当時、政治の実権を握っていたのはイタリア社会党という 社会主義政党 でした。
労働者の救済を目指すはずの社会主義政党が、労働者の弾圧を行った。この事実は国内の労働者たちを失望させ、イタリア社会党は支持を失っていきました。
この後イタリアでは、イタリア社会党に代わる 新たな政党 が政治の実権を握ることになります。次のポイントで詳しく見ていきましょう。
第一次世界大戦後の欧米諸国、第4回。
今回は「ファシズムの台頭」について学習します。