5分でわかる!独裁政治のほうが都合が良い!?

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この動画の要点まとめ
ポイント

ポイントの1つ目は「ポーランドとハンガリーの独裁体制」です。

第一次世界大戦中、アメリカの ウィルソン大統領 は 十四カ条の平和原則 を提唱しました。大戦が終わると、十四カ条のうち「 民族自決 」の考え方にのっとり、東ヨーロッパの国々が独立を達成することになりました。

ポイント1では、独立を達成した東欧諸国の中で ポーランド と ハンガリー に注目し、それぞれの歴史を勉強していきます。まずは ポーランド から。
独立後のポーランド/ピウスツキの独裁

第一次世界大戦が終わり独立を果たしたポーランドは、隣国ロシア(ソヴィエト)と国境をめぐって戦争を行いました。これを ソヴィエト=ポーランド戦争 といいます。ポーランドは勝利し、領土拡大に成功しました。

この戦争を勝利に導いた ピウスツキ は、国民からの人気を獲得し、次第に独裁体制を築くようになりました。こうして、独立を果たしたポーランドでは、ピウスツキによる独裁が行われるようになったのです。
独立後のハンガリー/ホルティの独裁

続いてはハンガリーに注目します。

第一次世界大戦末期、ハンガリーでは社会党・共産党がロシアにならって ソヴィエト政権 を樹立し、ハンガリー共和国の独立を宣言する事件が起こりました。これを ハンガリー革命 といいます。

しかし、ソヴィエト政権は結局 ホルティ らによって倒されてしまいました。その後ハンガリーではホルティが権力を握り、独裁政治を行いました。

東欧諸国は 西欧とソ連との中間 に位置しています。第一次世界大戦後に東欧の独立が認められたのは、社会主義国ソ連を警戒する西欧諸国が、東欧諸国に「壁」としての役割を期待していたことが背景にあります。

西欧諸国にとって、東欧諸国が 社会主義国 になるのは問題でしたが、それ以外なら問題はありませんでした。だからこそ、東欧諸国で独裁政治が行われても、それを容認していたのです。

このように、ポーランドやハンガリーで独裁政治が成立した背景には、西欧諸国の思惑があったということを頭の片隅に入れておいてください。

第一次世界大戦後の欧米諸国、第5回。
今回は「東欧諸国の動向」について学習します。