5分でわかる!世界が注目!ソ連経済の急成長
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この動画の要点まとめ
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レーニンの後継者争い|トロツキーvsスターリン
1924年、ロシア革命の指導者であり、世界初の社会主義国家を建設した革命家 レーニン が死去しました。すると、後継者の座をめぐって2人の人物が争うことになりました。
その1人が トロツキー です。彼はソ連だけではなく、西欧や世界全体に革命を広げ、仲間を増やして援助を受けるべきだと主張しました。この考え方を 世界革命論 といいます。
もう1人が スターリン です。彼は反対に、社会主義の建設はソ連1国だけで可能であり、革命を広げる必要はないと主張しました。この考え方を 一国社会主義論 といいます。
両者の対立はスターリンに軍配が上がりました。トロツキーは国外追放され、亡命先のメキシコで暗殺されてしまいました。
逆らう人間は消される!スターリンの独裁
権力を握ったスターリンは、 スターリン体制 と呼ばれる独裁体制を築きました。
スターリンは、自分に反対する人びとを次々に処刑していきました。これを 粛清 (しゅくせい)といいます。スターリンは恐怖政治をおこない、自らの独裁を強化したのです。
1936年には、彼の名を冠した スターリン憲法 が制定されました。男女平等、民族間の平等など驚くほど民主主義的でしたが、これはあくまで形式的なものに過ぎませんでした。民主主義的な政治が行われることはなく、結局はスターリンによる独裁政治が継続されたのです。
スターリンの経済政策
独裁政治を強化する一方、スターリンはある 経済政策 を実施しました。
1928~1932年、スターリンの指導で 第1次五カ年計画 が実施されました。これは鉄鋼・石炭などの 重工業 を重視した工業化を進める一方、農業生産の効率を上げるために 農業の機械化・集団化 を推進する計画でした。
ちなみに、一定期間ある特定の分野に集中して経済成長を目指す政策を 計画経済 といいます。第1次五カ年計画は、重工業に特化した計画経済だったというわけです。
そして農業については、 コルホーズ(集団農場) と ソフホーズ(国営農場) の建設により、機械化・集団化が推進されました。
コルホーズでは、農家たちの間で 農業機械や土地が共有 されました。ソフホーズでは、土地も農具も 国のもの とされ、農民たちは働いて賃金を得る、現代の「アルバイト」のような形態で農業に励むことになりました。
1933~1937年には 第2次五カ年計画 が実施され、 軽工業 に特化することで経済成長が目指されました。
レーニンの死後スターリンが権力を握り、独裁を強める一方で計画経済を推進しました。しっかり覚えておきましょう。
ポイントの2つ目は「ソ連の経済成長」です。
第一次世界大戦後の ソ連 の様子に注目します。