高校世界史B

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5分でわかる!戦間期のアジア諸地域をみる視点

31

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ポイント

戦間期のアジア諸地域をみる視点

戦間期のアジア諸地域 右ページテキスト

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ポイントの解説授業
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第38章「戦間期のアジア諸地域」のガイダンス授業です。
この章では合計6回にわたって 戦間期のアジア諸地域 について勉強します。

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第一次世界大戦が始まる前、アジアの国々は、そのほとんどが欧米諸国に支配されていました。独立を保っていたのは日本やタイぐらいでした。

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産業革命などを経て国を強くした欧米諸国に対し、アジアの国々ははっきり言って 弱かった のです。各国は欧米列強の侵略を受け、次々に植民地化されていきました。

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1914年に始まった第一次世界大戦は、欧米列強にとって 総力戦 となりました。多くの国民を動員し戦費を費やした結果、欧米諸国は疲弊してしまいました。

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この様子を見たアジア諸国は「欧米諸国が弱っている!独立するならいまがチャンスだ!」と考えました。そこで、第一次世界大戦が終わると各地で 独立運動民族運動 が起きるようになりました。

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この章では、アジア諸地域で発生した独立運動・民族運動について学習します。

第1回「新文化運動と中国の民衆運動」

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第1回・第2回の授業では 中国 に注目します。中国では、知識人たちによる 新文化運動 と呼ばれる啓蒙運動が見られました。

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中国には多くの人が暮らしています。知識人たちはその人数に注目し、多くの国民を巻き込んだ民衆運動を起こそうと考えました。

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ただ、国民の多くははっきりいって「無知」な状態です。そこで知識人たちは 本や雑誌などの出版物 を通じて人びとの意識を変え、革命を起こそうと考えたのです。この動きを 新文化運動 といいます。

第2回「北伐と中国共産党の動向」

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1912年、中国では 中華民国 が成立しました。「民国」という名前がついていますが、はっきりいって全く民のための国家ではありませんでした。 軍閥 と呼ばれる一部の軍部が権力を握り、ヨーロッパや日本と結託して、政権維持に努めていたのです。

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そこで中国では、北京に成立していた軍事政権を打倒し、民衆のための国づくりを行おうとする動きが見られるようになりました。これを 北伐 といいます。

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第2回では、この北伐の動きと、 毛沢東 という人物を主席とする 中国共産党 の動向について学習します。

第3回「朝鮮と東南アジアの民族運動」

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第3回の授業では 朝鮮と東南アジアの民族運動・独立運動 を学習します。

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日本の支配を受けていた朝鮮では、第一次世界大戦の講和条約で示された「民族自決」の原則に触発され、大規模な民族運動が発生しました。

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欧米列強に支配されていた東南アジアでは、大戦後に各国で独立運動が見られました。カリスマ的な指導者を中心に政党が結成され、列強に対し独立運動を展開したのです。

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これらの民族運動・独立運動の多くは鎮圧されてしまいました。ただし、大戦後に各国で独立を求める動きが見られたことは非常に重要です。どの国でどのような動きがあったのか、国別でしっかり覚えてあげましょう。

第4回「インドの民族運動」

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第4回の授業では、第一次世界大戦中・大戦後の インド に注目します。

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大戦後のインドでは ガンディー という人物がイギリスに対する抵抗運動を主導しました。彼は 非暴力・不服従 、つまりイギリスに対して暴力は行使しないが、イギリスの言いなりにはならない、という姿勢を貫きました。

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ガンディーが指導した抵抗運動は、幅広い階層を巻き込んだ運動へ発展しました。一部の革命家だけではなく、女性や子どもも含めて多くの国民が参加する運動になったのです。

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武装蜂起なら軍隊を派遣して鎮圧すればおしまいです。しかし、ガンディーらの運動は「非暴力」の抵抗運動です。簡単に武力で鎮圧するわけにもいかず、イギリス政府は対応に苦慮することになりました。

第5回「トルコ革命」

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第5回の授業では、第一次世界大戦に敗れた オスマン帝国(トルコ) に注目します。

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敗戦国となったオスマン帝国は、連合国から不平等な講和条約を押し付けられました。さらに、ギリシア軍によってイズミルという地域を占領されてしまいました。

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そんな中、ある人物がトルコ人の主権と領土を守るために立ち上がり、なんとギリシア軍を撃退したのです。彼はオスマン帝国を滅ぼし、新たに成立した トルコ共和国 の初代大統領となりました。

第6回「イスラーム諸国の動向」

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第6回の授業では、トルコ以外のイスラーム諸国の動向を見ていきます。イランや中東(現在のシリア・イラク・エジプト・アフガニスタンなど)の国々です。

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実は、これらの国々は比較的あっさりとイギリスから独立を果たすことができました。当時イギリスは、アジア最大の植民地である インド で起きた、ガンディー率いる大規模な民族運動への対応で手一杯だったのです。

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イギリスがインドへの対応を迫られる中、エジプト・イラン・アフガニスタンなどは独立を勝ち取っていくことになりました。

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一方、シリア・レバノンなど旧オスマン帝国領であった西アジア地域の国々は、大戦後にイギリス・フランスによって委任統治されることになりました。

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分割統治にあたり、英仏は民族や宗派を無視して自分たちに都合の良い国境線を引きました。その結果、この地域では宗教対立・民族紛争が頻発するようになったのです。現代でも中東地域の情勢が不安定なのは、ここに理由があります。

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以上、合計6回の授業で、戦間期のアジア諸地域について勉強していきましょう!

この授業の先生

新里 将平 先生

「世界史を楽しく,わかりやすく教えたい!」をモットーにストーリー性のある授業展開で、歴史上の人物や国が当時何を考え、どう動いたかを感情を込めて伝える。

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