5分でわかる!中国国民を巻き込む一大運動へ!
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この動画の要点まとめ
ポイント
ポイントの1つ目は「新文化運動」です。
第一次世界大戦前後に中国で起こった 新文化運動 と呼ばれる動きに注目します。
新文化運動ってなに?
第一次世界大戦が始まると、日本が中国への影響力を強めていきました。中国にあるドイツ領を攻撃したり、中国政府に 二十一カ条要求 を突きつけたりしたのです。
これを見た中国の知識人たちは、中国を改革し、日本など外国勢力を追い出そうと考えました。とはいえ、一部の知識人たちだけではできることにも限界があります。大勢の国民を巻き込み、皆で現状を打破しなければなりません。
そこで知識人たちは人びとを啓蒙(=教え導くこと)し、中国の体制がいかに時代遅れか、中国がいかに危機的状況かを理解させようとしました。この動きを 新文化運動 と呼びます。
陳独秀が『新青年』を刊行
新文化運動の中で、北京大学の教授らを中心とする 文学革命 が進展しました。彼らは 文学作品 を通じて人々を啓蒙しようとしたのです。
陳独秀 は『 新青年 』という雑誌を刊行し、「民主主義と科学」をスローガンに掲げ、中国の古い体制や昔ながらの儒教を批判しました。
『新青年』を通じ、多くの知識人・学者が主張を展開
陳独秀が刊行した『新青年』では、多くの学者・知識人が意見を述べ、中国の青年や学生に影響を与えました。
胡適 (こせき/こてき)は『新青年』を通じて 白話運動 を展開しました。白話とは、 文語 (書きことば)に対する 口語 (話し言葉)のことです。胡適はこれまで正統とされてきた文語ではなく、口語による文章表現を主張しました。
李大釗 (りたいしょう)は『新青年』を通じて マルクス主義 の考え方を紹介しました。
最後に 魯迅 (ろじん)という人物を紹介します。
彼はもともと医学を志しており、日本の仙台医学専門学校(現在の東北大学医学部)に留学しました。しかし、やがて 文学 にひかれるようになり、「文学で中国人の意識を変えよう」と考えるようになりました。
彼の代表作に『 狂人日記 』や『 阿Q正伝 』があります。これらを通じて魯迅は、中国の儒教道徳や、民衆の無知を厳しく批判しました。
戦間期のアジア諸地域、第1回。
今回は「新文化運動と中国の民衆運動」について学習します。