5分でわかる!国民党と共産党の協力体制の完成!
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この動画の要点まとめ
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五・四運動の発生/反帝国主義が中国全土に広がった!
第一次世界大戦終結後、1919年に パリ講和会議 が開催されました。会議に参加した中国は、大戦中に日本に突きつけられた 二十一カ条要求 の取り消しを訴えましたが、取り合ってもらえませんでした。
これを聞いた中国国民は不満を強めます。1919年5月4日、北京大学の学生たちが中心となって大規模な抗議デモを起こすと、新文化運動の成果もあいまって 全国的な反帝国主義運動 へと発展したのです。これを 五・四運動 といいます。
当時の中国政府は人びとの声を無視できず、 ヴェルサイユ条約の調印を拒否 せざるを得ませんでした。条約を調印すれば パリ講和会議の内容を承認した ことになってしまい、国民の反発がさらに強まるからです。
中国国民党と中国共産党
全国的な反帝国主義運動が高まると、 孫文 という革命家が 中国国民党 を結成しました。彼はもともと中華革命党という「秘密結社」を結成していたのですが、五・四運動の高まりを受け、人びとの意見を代表する「大衆政党」への転換をはかろうと、名前を中国国民党と改称したのです。
一方、『新青年』を刊行した陳独秀らは 中国共産党 という社会主義政党を結成しました。こうして中国では、中国国民党と中国共産党の2つが登場することになりました。
両者が手を組んだ!第1次国共合作
国民党は資本主義、共産党は社会主義の考え方を掲げていました。国民党は富裕層から、共産党は貧困層から支持されました。
党の方針も違えば支持基盤も違う。しかし両者には 現在の政府を倒し外国勢力を追い出す という共通の目的がありました。
そこで、この2つの政党は協力体制を築くことになりました。これを 第1次国共合作 といいます。 国 民党と 共 産党が手を組んだことを 国共 合作と表現します。
国民党の孫文は「 連ソ・容共・扶助工農 」を掲げました。ソ連と連携し、共産党を受け入れ、工業や農業を育てよう、と宣言したのです。
国民党と共産党は力を合わせ、 国民革命 の実現を目指しました。まず軍閥政府を倒し、そのあと外国勢力を追い出そうと考えたのです。
以上、五・四運動と第1次国共合作について学習しました。しっかり覚えておきましょう。
ポイントの2つ目は「五・四運動と第1次国共合作」です。
新文化運動 によって知識人・学者から啓蒙を受けた人びとは、ついに大規模な民衆運動を展開することになりました。詳しく見ていきましょう。