5分でわかる!朝鮮でおきた「民族自決」を求める動き!
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この動画の要点まとめ
ポイント
ポイントの1つ目は「三・一独立運動」です。
第一次世界大戦終結後、アジア諸地域で列強支配からの独立を求める運動が発生しました。今回は、その中でも 朝鮮 で発生した民族運動にスポットライトをあてます。
日本は朝鮮総督府を設置、武断政治を行った
まずはおさらいです。
初代統監 伊藤博文 が暗殺された後、日本は1910年に 韓国併合 を行いました。これにより韓国は 日本の完全な植民地 となり、「韓国」という国号が廃され「朝鮮」と呼ばれるようになりました。
韓国併合後、日本は朝鮮を支配する機関として 朝鮮総督府 を設置しました。朝鮮総督府は天皇直属の機関とされ、憲兵や軍隊などの 武力による支配 を行いました。これを 武断政治 といいます。
三・一独立運動の発生
1919年3月1日、武断政治への反発や民族独立の要求が強まる中で 三・一独立運動 が発生しました。
朝鮮の人びとは、パリ講和会議で提唱された 民族自決の原則 に強い影響を受けました。民族自決とは「 自分の民族のことは自分で決める 」ことを指します。
人びとは「私たち朝鮮人のことは私たちが決める、日本が決めるのはおかしい!」と考え、朝鮮各地で「独立万歳」とさけぶデモを行ったのです。
ちなみに同年5月4日には、中国で 五・四運動 が発生しています。第一次世界大戦後の朝鮮と中国で、日本支配に対する抵抗運動・民族運動が発生したこと、覚えておきましょう。
日本は武断政治→文化政治に転換
三・一独立運動を受けて、朝鮮総督府は従来の武断政治をゆるめ、徐々に 文化政治 へと移行していきました。朝鮮を支配する手段が、武断政治では 暴力 だったのに対し、文化政治では「 朝鮮人を日本人にする 」手段がとられました。
「自分たちは朝鮮人だ!」という意識が強くあるから民族運動が発生する。なら、その意識を弱めてしまえばいい。そこで朝鮮総督府は、日本語教育や日本文化の強制によって、朝鮮を日本に同化させようとしたのです。
朝鮮で三・一独立運動が起きたこと。その結果、朝鮮総督府が武断政治から文化政治へと移行したこと。合わせて覚えておきましょう。
戦間期のアジア諸地域、第3回。
今回は「朝鮮と東南アジアの民族運動」について学習します。