5分でわかる!インドを裏切ったイギリスに反発!
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この動画の要点まとめ
ポイント
ポイントの1つ目は、「インド独立運動の始まり」です。
インドでは、第1次大戦後に独立運動が拡大しました。
当時のインドの状況に注目しながら、独立運動の様子を勉強していきましょう。
インド2大組織の対立と協力!
舞台は第1次世界大戦中、イギリスの支配下にあったインド。
当時インドには2つの組織が存在しました。
1つ目は、インド人の80%を占める ヒンドゥー教徒 を中心とする 国民会議派 。
一方イギリスは少数派である イスラーム教徒 に対し、ヒンドゥー教徒への対抗心をあおり 全インド=ムスリム連盟 を作らせました。
そのためこの2つの組織は敵対関係にあったわけです。
ところが大戦中、 国民会議派の反英運動に全インド=ムスリム連盟が一時的に協力 します。
その理由は、イギリスがオスマン帝国と戦っていたことにありました。
当時のオスマン帝国には、全イスラーム教徒の代表である カリフ がいたため、これと戦うイギリスに連盟が反発したというわけです。
自治を約束するイギリス!しかし・・・
2つの組織が手を組んだことで、イギリスは焦りました。
イギリスはこれを鎮めるため、 反英運動をやめて戦争に協力すれば、戦後に自治を保証する と約束しました。
大戦が終わり、インド人たちは当然自治を期待しましたが・・・
イギリスは大戦後 ローラット法 を制定。
令状なしの逮捕、裁判ぬきの投獄など、自治どころかイギリスに逆らう者を弾圧する法律をつくったのです。
インド側は当然抗議活動を展開しますが、イギリスはこれを武力でつぶす アムリットサール事件 を起こしました。
武力に頼らず抵抗する!ガンディーの登場
インドとイギリスの対立が激化するなか、インドの独立にむけ ガンディー が活動を開始します。
彼は 非暴力・不服従 、すなわち 暴力を使わずに抵抗する というスタイルをとり、インド人皆に参加をよびかけました。
皆さん、少し考えてみてください。
参加者が毎回大ケガをするような抗議運動に参加したいと思いますか?
しかし、絶対に暴力は使わないという運動なら誰でも参加できますよね。
このようなやり方によってガンディーは、これまで一部の人しかやらなかった運動を女性・子どもを含めたインド人全員が参加できるものに変えたのです。
彼はスローガンとして サティヤーグラハ (真理の把握)を掲げ、本当に正しいことを知っているのは自分たちであり、イギリスの間違ったやり方には絶対屈しないという意思を明らかにしました。
こうして彼は少しでも運動が激化すると停止し、徹底した「非暴力」を貫いたのです。
さらに加熱する独立運動!
ガンディーの活動を受け、インドの独立運動はさらに加速します。
国民会議派の ネルー を中心にラホール大会が開催され、 プールナ=スワラージ (完全なる独立)が宣言されました。
もはや自治ではなく、イギリスから完全に独立することを宣言したのです。
このように独立の機運が高まるなか、ガンディーも次の行動に出ます。
彼は第2次非暴力・不服従運動の一環として、 塩の行進 を行いました。
これはイギリスによる塩の専売によってインドで自由に塩の生産ができなくなったことへの抗議活動で、弟子80人程と共に海岸へ行進、堂々と塩を作ったというものです。
このようなインド全土を巻き込む反英運動を受け、イギリスもついに対応を迫られることとなります。
次のポイントでは、広がる反英運動にイギリスがどう反応したのかを勉強していきましょう。
戦間期のアジア諸地域の4回目。
今回は、「インドの民族運動」について学習します。