5分でわかる!世界恐慌とファシズム諸国の侵略をみる視点
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この動画の要点まとめ
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第一次世界大戦の終結後、アメリカやヨーロッパの国々は、世界大戦の再発を防ぐために ヴェルサイユ体制 や ワシントン体制 と呼ばれる国際体制を整えました。また、主にヨーロッパで 国際協調主義 と呼ばれる考え方が広まり、各国が歩み寄りを見せるようになりました。
しかし、1929年に 世界恐慌 が発生したことで、事態は大きく変わります。世界恐慌とは、アメリカで発生して世界中に広がった 経済不況 のこと。世界恐慌が発生すると、各国は不況への対応に追われ、国際的な協力体制も形だけのものになってしまったのです。
この章では、世界恐慌の発生と、経済不況に対する各国の対応について学習します。
第1回「世界恐慌の到来」
世界恐慌への対応は、植民地を持っていた国と持っていなかった国( “持てる国” と “持たざる国” )とで大きく異なりました。まずは“持てる国”の対応から見ていきましょう。
第1回の授業では、“持てる国”の中でもアメリカに注目します。こちらを見てください。
このグラフは、1929年に世界恐慌が発生して以降の、各国の工業生産の推移を示しています。工業生産に注目することで、恐慌が各国に与えた影響をうかがい知ることができるのです。
世界恐慌は1929年、アメリカで発生した経済不況が世界に広がることで発生しました。アメリカでは、恐慌を乗り切るための改革が積極的に行われましたが...
アメリカのグラフを見ると、工業生産は1929年から1932年まで下がり続けています。1932年からは上昇していますが、1935年になっても世界恐慌発生前の水準には戻っていません。そう、世界恐慌の発生元であるアメリカは、それほど上手く恐慌に対応できたわけではありませんでした。
第2回「イギリス・フランスの対応」
第2回の授業では、“持てる国”の中でもイギリスとフランスに注目します。
かつてイギリスは、多くの国と積極的に貿易を行ってきました。しかし、世界恐慌の発生を受けて、イギリスは植民地の国々とだけ貿易を行うようになったのです。植民地に対し製品を売りつけたり、安く買い上げたりして、経済不況を乗り切ろうとしたのです。このような政策のことを ブロック経済 と呼び、フランスやアメリカも同様の政策をとるようになります。
イギリスのグラフを見ると、1931年までは下降していますが、それ以降は回復し、1935年の時点では完全に回復しています。つまり、イギリスは世界恐慌の影響を受けましたが、植民地との貿易によって回復に成功したのです。
ちなみにフランスもブロック経済政策をとりましたが、イギリスほど上手く恐慌に対応できたわけではありませんでした。
第3回「日本の中国侵略」
イギリスのような“持てる国”は、植民地との貿易を通じて世界恐慌のダメージを回復しました。では、植民地を持たない国々(“持たざる国”)はどうだったのでしょうか?
第3回の授業では、“持たざる国”の中でも日本に注目します。日本は、中国へ侵略することによって、植民地を手に入れようと考えました。こちらを見てください。
日本のグラフを見ると、1929年から少し下降するものの、1932年頃から回復しているのがわかります。日本が中国に進出したのも、ちょうどこの頃です。植民地を持たない日本は、中国に侵略することで、恐慌を乗り切ろうとしたのです。
第4回「ナチ党の勢力拡大」
第4回の授業では、“持たざる国”の中でもドイツに注目します。第一次世界大戦の敗戦国ドイツは、大戦後に少しずつ復興を進めていたのですが、世界恐慌の発生により大きなダメージを受けてしまいました。
この状況の中、ドイツでは ナチ党 という勢力が台頭してきました。ナチ党は ヒトラー という有力な指導者のもとで政権を獲得すると、独裁的な政治を行うようになります。
第5回「ナチス=ドイツの動向」
第5回の授業では、ヒトラー率いるナチ党がどのような政治を行ったのか、そしてドイツがどのような外交を展開したのかに注目します。
植民地を持たないドイツは、中国へ進出した日本と同じように、軍事力によって植民地を獲得しようとしました。これに対し、他のヨーロッパの大国、例えばイギリスやフランスは、ドイツを警戒しつつも、最終的にはその動きを容認することになります。いったいなぜでしょうか?
もう一度こちらのグラフを見てください。
このグラフで、1国だけずっと右上がりの国がありますよね。そう、ソ連です。社会主義国家のソ連は、世界恐慌の影響をほとんど受けず、工業生産を伸ばし続けました。
イギリスやフランスは、社会主義国ソ連の動きを警戒していました。そこで、ドイツが海外へ勢力を伸ばそうとする動きを容認し、ソ連に対抗させようとしたのです。
第6回「ファシズム諸国の協力体制」
第6回の授業では、日本・ドイツ・イタリアが協力体制を築く様子を説明します。これら3国が手を結ぶのを、イギリスやフランスは警戒しつつも黙認しました。日・独・伊が、ソ連に対抗する勢力になると考えたからです。
第7回「第二次世界大戦へ」
第7回の授業では、ついに 第二次世界大戦 がはじまります。ソ連を警戒するイギリスやフランスが、ドイツの対外進出を黙認し続けた結果、ドイツは暴走し、ついに世界大戦が勃発することになったのです。
第一次世界大戦後に築かれた国際体制や、主にヨーロッパで強まった国際協調の精神は、世界恐慌をきっかけに崩れてしまいました。世界恐慌の影響を受けた国々は、イギリスやフランスのようにブロック経済圏を構築したり、ドイツや日本のように海外へ進出したりしました。ソ連は恐慌の影響を受けず、イギリスやフランスはソ連への警戒を強めました。
こうした状況の中で、各国の対立が深まり、第二次世界大戦がはじまることになってしまいました。これから合計7回の授業で、世界恐慌とファシズム諸国の侵略について一緒に勉強していきましょう!
第39章「世界恐慌とファシズム諸国の侵略」のガイダンス授業です。
この章では合計7回の授業で 世界恐慌とファシズム諸国の侵略 について勉強します。