5分でわかる!中国では国民党と共産党の対立が進む
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この動画の要点まとめ
ポイント
国民党と共産党の対立!12,500kmの大移動!
日本の侵略に対し、中国の人々は一致団結して対抗した...わけではありませんでした。実は、中国国内では 国民党 と 共産党 が激しく対立していたのです(国共内戦)。
1933年、国民党の中心人物 蒋介石 は、共産党の本拠地であった 瑞金 を包囲し、集中攻撃を仕掛けました。これを受けて翌年、毛沢東率いる共産党軍は瑞金を放棄し、約12,500kmも離れた 延安 へ向かって大移動を行いました。これを 長征 といいます。
長征の途中、共産党は 八・一宣言 を発表しました。国民党に対し「内戦を停止して、協力して日本に対抗しよう」と呼びかけたのです。
国民党と共産党が争っている間にも、日本は中国侵略を進め、ついには満州国を建国してしまいました。国内で争っている場合ではない、と主張したわけです。
第2次国共合作が成立!
しかし、国民党の蒋介石は、共産党の呼びかけに耳を貸しませんでした。八・一宣言が発表された後も、共産党との対立姿勢を崩さなかったのです。
そんな中、 張学良 という人物が、武力で蒋介石を監禁する事件が起こりました。これを 西安事件 といいます。
張学良は、国共内戦を停止し、共産党と結んで日本に対抗するよう、蒋介石に懇願したのです。たび重なる説得の末、ついに蒋介石は張学良の主張を受け入れ、抗日の姿勢を示すようになりました。
1937年7月、北京郊外で日中両軍が衝突する 盧溝橋事件 が起こると、これをきっかけに 日中戦争 が始まりました。そして同年9月には、ついに 第2次国共合作 が成立。国民党と共産党が 抗日民族統一戦線 を結成したのです。
苦戦する中国
国共合作が成立したものの、中国は苦戦を強いられました。1937年12月には、日本軍に 南京 を占領されてしまったのです。
南京を占領した日本軍は、捕虜や市民を含む多くの人々を虐殺しました。これを 南京事件 といいます。この事件については、犠牲者の数などをめぐって様々な学説が存在しています。
南京を占領されたことを受け、蒋介石は国民政府の都を 重慶 に移しました(重慶政府)。一方、日本は占領した南京に 南京国民政府 を樹立しました。
これは日本の傀儡(かいらい)、つまり日本の言いなりになる政府でした。指導者には、かつて蒋介石と対立した 汪兆銘 が任命されました。
以上、中国国内の動きを学習しました。中国では第2次国共合作が成立したものの、日中戦争において中国は苦戦を強いられたことをおさえておきましょう。
ポイントの2つ目は「国共内戦と日中戦争」です。
ポイント1では日本の中国侵略について学習しましたね。ポイント2では中国に注目し、中国国内でどのような動きがあったのかを学習します。