高校世界史B
5分で解ける!日本の中国侵略に関する問題
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練習の解説授業
日本の軍国主義化
第一次世界大戦後の日本では、金融恐慌や世界恐慌の影響を受け、植民地を獲得しようとする動きが見られました。
1931年9月、日本の関東軍が南満州鉄道を爆破する 柳条湖事件 が発生。この事件をきっかけに、日本と中国の武力紛争である満州事変が始まりました。
日本は満州を占領すると、1932年に 満州国 を建国しました。しかし、国際連盟から派遣された リットン調査団 は「満州事変は日本の侵略行為である」とする報告書を発表。これを不服とした日本は、1933年に国際連盟を脱退しました。
日本国内では、1932年に犬養毅首相が暗殺される 五・一五事件 が発生。1936年には陸軍の急進派将校による 二・二六事件 が発生しました。こうした事件を経て、日本の政治は軍部に掌握されていきました。
中国では国民党と共産党の対立が進む
日本の侵略が進む一方、中国国内では国民党と共産党の対立が進んでいました(国共内戦)。
国民党の攻撃を受けた共産党は、1934年に大移動を開始し、本拠地を瑞金から 延安 に移しました。これを長征といいます。
長征の途中、共産党は 八・一宣言 を発表。国民党に対し、国共内戦の停止と 抗日民族統一戦線 の結成を呼びかけました。
しかし、国民党の 蒋介石 は共産党の呼びかけを拒絶。そこで、張学良という人物が蒋介石を監禁し、国共内戦の停止を迫る事件が起こりました。これを 西安事件 といいます。
1937年、盧溝橋事件をきっかけに日中戦争が勃発。同年に 第2次国共合作 が成立し、国民党と共産党による抗日民族統一戦線が結成されました。
日中戦争の序盤は日本が優勢。南京を占領された蒋介石は、国民政府の拠点を 重慶 に移しました。
世界恐慌とファシズム諸国の侵略の練習
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今回は、日本の中国侵略について学習しました。
内容を確認していきましょう。