5分でわかる!ヴェルサイユ体制の打破!軍備を拡大するドイツ
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この動画の要点まとめ
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日本に次いで国際連盟を脱退!
少し復習です。第一次世界大戦で敗戦国となったドイツは、厳しい制裁を受けました。領土の削減や植民地の放棄に加え、大幅な 軍備制限 を課せられたのです。
これに不満を抱いていたヒトラーは、1930年代前半、各国に対し 大国間の軍備平等権 を主張しました。「ドイツだけ軍備を制限されるのは不公平だ」というわけですね。
しかし、国際連盟はヒトラーの主張を認めませんでした。すると、ヒトラー率いるナチス=ドイツは、1933年10月に 国際連盟を脱退 したのです。ちなみに同年2月には、リットン調査団の報告を不満として 日本 が国際連盟を脱退しています。
ザール編入/ドイツの再軍備宣言
国際連盟を脱退したドイツは、フランスとの国境地帯に位置する ザール を編入しました。ザールはヨーロッパ有数の炭田を有する豊かな工業地帯で、ドイツ・フランス間でたびたび、その帰属をめぐる争いが起こっていました。
第一次世界大戦の講和条約であるヴェルサイユ条約で、ザールは 国際連盟管理下の自由市 となること、そして15年後に 住民投票 を行い、その帰属を決めることが規定されたのです。こうして1935年、条約の通り住民投票が行われ、ザールは ドイツ領 となりました。
そしてザール編入と同年、ドイツは 徴兵制の復活 を宣言しました( 再軍備宣言 )。これはヴェルサイユ条約で定められた軍備制限を真っ向から否定する宣言です。当然、周囲の国々はドイツを警戒しました。
英仏の対応は?
特にドイツを警戒したのは フランス です。第一次世界大戦後、ドイツに対する厳しい制裁を主張し続けたフランスは、真っ先に報復される可能性があったからです。
そこでフランスはソ連に接近し 仏ソ相互援助条約 を結びました。ソ連と組むことでドイツを挟み撃ちにしようと考えたのです。
一方、イギリスの反応は違っていました。イギリスは 英独海軍協定 を結んでドイツの再軍備を 事実上容認したのです。 いったいなぜでしょうか?
イギリスは、ドイツを警戒する一方で 社会主義国ソ連を警戒していました。 仏ソ相互援助条約が結ばれたことで、ソ連はこれまで以上に勢力を増す可能性が出てきました。そこでイギリスは、ソ連をおさえつける役割を期待して、ドイツの再軍備を容認したのです。
ドイツの暴走が始まる...
1936年、ヒトラー率いるナチス=ドイツは ラインラント の非武装地帯に軍隊を進駐させ(ラインラント進駐)、ヴェルサイユ条約および ロカルノ条約 を破棄しました。
フランスは抗議しましたが、軍事衝突などが起こることもなく、結局はヒトラーの狙い通りの結果となったのです。
この後もドイツは暴走を続け、やがて第二次世界大戦へと突入していくことになります。イギリスやフランスはヒトラーの暴走を止められず、ナチス=ドイツの軍国主義化が進んでいくことになりました。
ポイントの2つ目は「ナチス=ドイツの対外政策」です。
ヒトラー率いるナチス=ドイツが展開した外交政策に注目します。