5分でわかる!ファシズム国家の同盟成立
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この動画の要点まとめ
ポイント
ドイツとイタリアが国際社会から孤立!
1933年、ドイツは国際連盟を脱退。1936年には非武装地帯とされたラインラントに進駐し、ロカルノ条約を破棄しました。
同時期に、ムッソリーニ独裁下のイタリアは エチオピア へ侵攻。世界恐慌による国内の経済危機から国民の目をそらすことが目的でした。
国際連盟はイタリアの行動を非難し、経済制裁を実施。こうしてドイツとイタリアは、ヨーロッパでの孤立を深めていったのです。
スペイン内戦の勃発
そんなドイツとイタリアは、ある事件をきっかけに急接近しました。 スペイン内戦 です。
ポイント1で紹介したように、1930年代半ばのスペインでは アサーニャ人民戦線内閣 が成立。社会主義的改革を実施してファシズム勢力をおさえつけていました。
これに反発したのが、ファシズム政党を支持する フランコ 将軍。彼は軍部を率い、人民戦線内閣への大規模な反乱を起こしました。こうして1936年7月、アサーニャ率いる人民戦線内閣と、フランコ率いる軍部との間で スペイン内戦 が勃発したのです。
ファシズム国家であるドイツ・イタリアはフランコ側を支援し、積極的な軍事援助を行いました。一方、社会主義国ソ連や 国際義勇軍 は人民戦線側を支援しました。
国際義勇軍とは、人民戦線を支援するために各国から集まった義勇兵たちのことです。ちなみにアメリカの作家 ヘミングウェー も義勇軍として参戦。彼は後に、スペイン内戦を舞台とした長編小説『誰がために鐘は鳴る』を著しました。
ドイツやイタリア、ソ連も参戦したスペイン内戦は、もはやスペイン国内だけの対立にはとどまりません。 ファシズムvs反ファシズム の戦いとなったのです。
イギリスやフランスは 不干渉政策 をとり、スペイン内戦への不干渉を宣言しました。ソ連を警戒する両国は、ファシズムの反社会主義性に期待を寄せたのです。
ファシズム国家の同盟成立!日本も参加
スペイン内戦をきっかけに接近したドイツとイタリアは、内戦のさなかに ベルリン=ローマ枢軸 の成立を宣言。さらにドイツは日本とも接近し、ドイツ・イタリア・日本による 三国防共協定 が成立しました。
ちなみに、三国防共協定の 防共 とは 共産主義や社会主義の拡大を防ぐ という意味です。
上の地図を見てください。三国防共協定が成立したことで、日独伊のファシズム国家が ソ連を挟み込む形となったのです。
1937年には、イタリアが 国際連盟を脱退。 日本とドイツも一足先に脱退していますから、ファシズム三国がいずれも国際連盟を脱退することになりました。
スペイン内戦の終結
ファシズム諸国が結束を強める中、大変な事件が起こりました。スペイン内戦のさなか、ドイツ空軍がスペインの ゲルニカ という村を 無差別爆撃 したのです。
この事件に対し、画家の ピカソ は 「ゲルニカ」 を描いて抗議の意を示しました。「ゲルニカ」は20世紀最大の名画といわれることもあります。
しかし、ピカソの抗議もむなしく、ファシズム諸国の勢いは止まりません。最終的にスペイン内戦は、ドイツやイタリアが支援する フランコ側の勝利 で幕を閉じたのです。こうしてスペインにもファシズム政権が誕生することになりました。
ポイントの2つ目は「ファシズム国家の孤立と協力体制構築」です。
まずは、ドイツやイタリアなどのファシズム諸国が世界から孤立していく様子を学習します。