5分でわかる!暴走するヒトラーを放置する英・仏
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この動画の要点まとめ
ポイント
ポイントの1つ目は「ヒトラーの暴走」です。
ヒトラー率いるナチス=ドイツが、強引に領土を拡張していく様子を学習します。
まずは前回の復習です。ドイツは スペイン内戦 に干渉し、ファシズムを支持する フランコ を支援しました。また、イタリアや日本と組んで 三国防共協定 を成立させ、ファシズム諸国の結束を強めました。防共とは 共産主義(社会主義)勢力を防ぐ という意味でしたね。
スペイン内戦に対し、イギリスやフランスは 不干渉政策 をとりました。両国には、ファシズム諸国にソ連を倒してもらおうという思惑があったのです。
イギリスやフランスの態度を見たヒトラーは、自分の政策にますます自信を深めました。「防共」を掲げれば、イギリスもフランスも文句を言ってこないことが分かったからです。
ヒトラー、ドイツ人地域へ進出
スペイン内戦後、ドイツは周辺の ドイツ人居住地域 へと進出。手始めに オーストリアを併合 しました。
オーストリアの併合は、第一次世界大戦後に結ばれた ヴェルサイユ条約 や サン=ジェルマン条約 で禁止されていました。ですが、イギリスやフランスは「防共」に期待し、ドイツの動きを咎めません。
さらにドイツは チェコスロヴァキア に対し、ドイツ系民族が多く住む ズデーテン地方 の割譲を要求しました。当然、チェコスロヴァキアは割譲を拒否しますが・・・
ミュンヘン会談と宥和政策
1938年、ズデーテン地方をめぐる問題に対処するために ミュンヘン会談 が開かれました。参加者はイギリスの ネヴィル=チェンバレン 、フランスの ダラディエ 、イタリアのムッソリーニ、そしてドイツのヒトラーです。 ソ連とチェコスロヴァキアの代表は会議に呼ばれませんでした。
この会談で英仏は、なんと ドイツの要求を受諾しました。 「防共」の動きを徹底することを条件に、ズデーテン地方の併合を認めたのです。特にイギリスは、ドイツに対し弱腰な姿勢で会談に臨みました。
イギリスは、戦争を避け平和的に外交を進めるためにドイツの要求を受諾したのです。このような外交姿勢を 宥和(ゆうわ)政策 と呼びます。
ズデーテン地方を併合!チェコスロヴァキアは解体...
ズデーテン地方併合について、ヒトラーは「これが最後の領土要求だ」と演説しており、英仏ともそのように約束していました。そして1938年、ドイツはズデーテン地方を併合しました。
しかしその直後、ドイツは約束を破って チェコスロヴァキアを解体。 実質的な支配下に置きました。
ヒトラーの暴走に対し、ドイツに「防共」の役割を期待する英仏は宥和政策を取りました。次のポイントでは、ドイツの暴走がますます加速する様子を学習します。
世界恐慌とファシズム諸国の侵略、第7回。
今回は「第二次世界大戦のはじまり」について学習します。