5分でわかる!戦局が大きく変わった!?独ソ戦争の開始!
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この動画の要点まとめ
ポイント
ポイントの1つ目は「独ソ関係の変化」です。
第二次世界大戦が始まる直前、ドイツとソ連は独ソ不可侵条約を結びました。戦争が始まると、両国は東西からポーランドへ侵攻し、分割占領。その後もしばらく両国の同盟関係は続きました。
しかし、そんな独ソの関係もある出来事をきっかけに大きく変わることになりました。いったい何があったのでしょうか?
ドイツのバルカン進出!ティトーはパルチザン闘争を展開
ポーランドへ侵攻した後、ドイツはデンマーク、ノルウェー、オランダ、ベルギーへ次々と侵入。その後1940年6月にパリを占領し、フランスを降伏させました。
フランスを占領したドイツはイギリスへの攻撃を開始しましたが、なかなか勝利することができません。アメリカが武器貸与法を制定し、イギリスを支援したからです。
そこでドイツは標的を変えバルカン半島方面へ進出。あっという間に ユーゴスラヴィア と ギリシア を占領しました。
ちなみに、ドイツに占領されたユーゴスラヴィアではティトーという人物がパルチザン闘争を指導しました。これはいわゆるゲリラ戦で、市民などが武器を持ち、非正規の軍隊(=パルチザン)としてドイツ軍と戦ったのです。
ソ連との関係が悪化!独ソ戦争へ
ドイツがバルカン半島を制圧すると、同盟国ソ連が猛反発しました。 ソ連もバルカン半島への進出を狙っていた からです。独ソ関係は急速に悪化し、いつ戦争が始まってもおかしくない状況になりました。
そこでソ連は、ドイツの同盟国である日本と日ソ中立条約を締結。これでドイツと戦争になっても、両国から挟み撃ちにされる心配はなくなりました。
そしていよいよ、ドイツとソ連が衝突。独ソ不可侵条約が破棄され独ソ戦争が勃発したのです。ドイツは得意の「電撃作戦」を実行し、当初はソ連軍を圧倒しました。
大西洋上会談の開催
独ソの仲間割れは、ドイツと敵対する国々にとって大きなチャンスでした。そこで1941年8月、米大統領フランクリン=ローズヴェルトと、英首相チャーチルは大西洋上会談(米英首脳会談)を開きました。
この会談で両首脳は戦後の国際秩序について話し合いました。また、その成果を大西洋憲章にまとめて発表しました。
ちなみに、この会談が行われていた時期に ドイツとイタリアがアメリカに宣戦布告。 こうして第二次世界大戦は、大国アメリカをも巻き込む大規模な戦争へと発展していきました。
第二次世界大戦と戦後秩序の形成、第2回。
今回は「ヨーロッパ戦線の終結」について学習します。