5分でわかる!日本の東南アジア進出!
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この動画の要点まとめ
ポイント
ポイントの1つ目は「日本の東南アジア進出」です。
前回までは ヨーロッパ の動きに注目してきましたが、今回の舞台は アジア です。アジアの中でも特に日本の動きに注目します。
日中戦争/欧米諸国は蒋介石を支援
世界恐慌の影響を受けた日本は、1930年代に中国への進出を強めました。1937年には北京郊外で 盧溝橋事件 が発生し、これをきっかけに 日中戦争 が始まりました。
国民党の 蒋介石 は国共内戦を停止し、日本との戦いに臨みました。しかし当初は日本が優勢。首都南京を占領された蒋介石は 重慶 に都を移しました(重慶政府)。
一方、日本は南京に 汪兆銘 を首班とする国民政府を樹立。これは日本の傀儡政権でした。
日本は重慶を激しく攻撃しましたが、蒋介石の抵抗は続き、なかなか重慶政府を倒せませんでした。その理由は、イギリスやアメリカなど東南アジアを支配していた国々が、蒋介石を支援していたからです。
北部仏領インドシナ進駐/欧米からの支援を断つ!
1940年7月、日本は 「大東亜共栄圏」 というスローガンを発表しました。これは、アジアを欧米の植民地支配から解放し、日本を盟主とする東アジアの新たな秩序を形成しようという構想です。このスローガンを振りかざし、日本はアジア進出を正当化しようとしました。
次に日本は、欧米諸国から蒋介石への支援を断とうと考え、東南アジアへの進出を始めました。手始めに日本は 北部フランス領インドシナ に進駐したのです。
この時、すでにフランスは ドイツの進撃を受けて降伏していた ため、日本軍の進駐を拒むことはできませんでした。しかし、日本のこの行動は、アメリカやイギリスを強く刺激することになりました。
アメリカとの交渉を続ける日本
アメリカとの緊張が高まる中、日本は 日独伊三国軍事同盟 を締結。アメリカと戦争になった際は、三国が協力することを約束しました。
同時に日本はアメリカとの交渉を進め、戦争を回避しようと妥協点を探りました。しかしアメリカは日本に譲歩せず、中国からの撤退、および三国同盟からの脱退を求めてきました。非常に強気な態度です。
交渉を有利に進めるため、日本は 日ソ中立条約 を締結。北方の安全を確保するとともに、アメリカへプレッシャーをかけました。ちなみに当時、ソ連はバルカン半島への進出を強めるドイツを警戒しており、この条約は両国にとってメリットがあったのです。
南部仏領インドシナ進駐/アメリカは対日石油輸出を禁止!
日ソ中立条約を結んだ日本は 南部フランス領インドシナ へ進駐しました。アメリカはこれを強く非難し 日本への石油輸出を禁止しました。
アメリカが石油輸出を禁止すると、日本はこの状況を ABCDライン と表現しました。Aはアメリカ、Bはイギリス、Cは中国、Dはオランダを指します。日本は、これら四国による対日包囲網が形成されていると主張し、その打破を戦争の目的として掲げたのです。
石油の多くをアメリカからの輸入に頼っていた日本は、石油資源を得るため、東南アジアへの進出を強めることになりました。
第二次世界大戦と戦後秩序の形成、第3回。
今回は「アジア・太平洋戦線」について学習します。