5分でわかる!タイムリミットは8月7日…
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この動画の要点まとめ
ポイント
ちなみに、このポイントのタイトルとなっている「8月7日」とは何の日付でしょうか?授業の終盤でご説明しますので、どうぞお楽しみに!
太平洋の拠点を失い、日本は劣勢に立たされる...
1942年6月、日本は ミッドウェー海戦 でアメリカに敗北。多くの戦力を失いました。
日本とアメリカの間には太平洋が広がり、両国には地理的な隔たりがあります。日本本土から直接アメリカを攻撃することはできなかったので、アメリカとの戦争においては 太平洋に浮かぶ島々が非常に重要でした。
ミッドウェー海戦での敗北は、多くの戦力を失ったことに加えて 太平洋における拠点を獲得できなかった という点でも、日本にとって痛手だったのです。
さらに日本は、太平洋に浮かぶ ガダルカナル島 をめぐってアメリカと対決。この戦いでも日本は敗れ、撤退を余儀なくされました。こうして日本は徐々に追い込まれていったのです。
カイロ会談とポツダム会談/日本への対応が協議される
1943年11月、米・英・中の首脳が カイロ会談 を開催。対日本戦の基本方針や日本の戦後処理が協議され、合意事項は カイロ宣言 として発表されました。
その後、アメリカは 日本本土空襲 や 沖縄本島上陸 を決行。日本はさらに追い込まれていきました。
1945年7月には、米・英・ソの首脳が ポツダム会談 を開催。日本とドイツの戦後処理が協議され、日本へ無条件降伏を勧告する ポツダム宣言 が発表されました。
ちなみに、ポツダム会談に参加した各国の首脳は トルーマン(米) 、チャーチル(英、途中でアトリーに交代)、スターリン(ソ連)です。アメリカでは1945年4月にローズヴェルト大統領が病死したため、同年2月のヤルタ会談ではローズヴェルトが、7月のポツダム会談ではトルーマンが、大統領としてそれぞれ参加しています。
ローズヴェルトとスターリンの「密約」とは?
1945年2月のヤルタ会談で、ローズヴェルトとスターリンはある「密約」を交わしていました。それは 「ドイツ降伏から3か月以内に日本が降伏しなければ、ソ連が対日宣戦する」 というもの。その時が来たら、ソ連は日ソ中立条約を破って日本に宣戦するという約束です。
これを知ったアメリカのトルーマンは焦りました。ソ連が本格的に参戦したら、戦後の日本は 社会主義国家 になってしまうかもしれないからです。そして「ドイツ降伏から3か月」というタイムリミットはいつかと言うと...冒頭でもお伝えした 8月7日 だったのです。
2度の原爆投下を受け、ついに日本が降伏
タイムリミットが近づく中、アメリカは 8月6日、広島に人類史上初めて原爆を投下しました。
しかし日本は降伏せず、ついにタイムリミットが訪れます。8月8日、ソ連は日ソ中立条約を破棄して 対日宣戦 を行いました。
アメリカは 8月9日、長崎に原爆を投下。 ここに来て、日本はようやく戦争遂行は不可能と判断し、8月14日にポツダム宣言を受諾。日本は降伏し 第二次世界大戦が終結しました。
タイムリミットが近づく中、アメリカは広島・長崎に原爆を投下。その被害は甚大で、被爆後5年間で30万人以上の犠牲者が出たと言われています。
莫大な犠牲の末に、ようやく第二次世界大戦が終結したのです。以上の流れをしっかり覚えておきましょう。
ポイントの2つ目は「日本の敗北と第二次世界大戦の終結」です。
第二次世界大戦末期の様子を学習します。