5分でわかる!ヨーロッパの戦後処理!
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この動画の要点まとめ
ポイント
ポイントの1つ目は「ヨーロッパの戦後処理」です。
ドイツをはじめとするヨーロッパの敗戦国が、連合国によってどのように処理されたのかを学習します。
ドイツの処理は徹底的に!
敗戦国の中でも、大戦中ヨーロッパ諸国を最も悩ませたのが ドイツ です。連合国は、第二のヒトラーや第二のナチ党が生まれないよう、ドイツを徹底的に管理することにしました。
まず、ナチ党の幹部たちは ニュルンベルク裁判 と呼ばれる国際軍事裁判で裁かれました。特に戦争責任が大きい人物については、死刑や終身刑が科されました。
また、戦後のドイツは 米・英・仏・ソの4カ国で分割占領 されることになりました。米・英・仏が西側を、ソ連が東側を占領。ドイツは4カ国の共同管理下におかれることになったのです。
そして、ドイツの首都 ベルリン も東西に分割管理されることになりました。
ちなみに、ベルリンはドイツの東側に位置していました。東側管理地区の一部だったわけです。そしてベルリンの中でも西側だけが米・英・仏の管轄となり、道路が建設されて西側管理地区とつながれました。
少しややこしいですが、首都をソ連だけに管理させるわけにはいかないため、このような仕組みとなったのです。
オーストリアも分割占領!永世中立国となる
第二次世界大戦が始まる前、ドイツに併合された オーストリア も、戦後はドイツと同じく4カ国により分割管理されることになりました。ただし、ドイツほど厳しく管理されたわけではありませんでした。
終戦から10年経った1955年、連合国とオーストリアの間で オーストリア国家条約 が締結されました。この条約でオーストリアは 主権を回復 し、独立を果たしました。
ただしオーストリアは 永世中立国 となることが定められました。永世中立国は、自ら戦争を始めたり、他国の戦争に干渉したりしないことを義務付けられています。
その他の戦後処理
第二次世界大戦でドイツ側についたイタリア・ルーマニア・ブルガリア・ハンガリー・フィンランドについては パリ講和条約 でその戦後処理が定められました。この条約で、各国の領土縮小や賠償金支払いなどが規定されました。
以上、ヨーロッパ諸国の戦後処理について説明しました。特にドイツの 戦後処理 の内容は重要です。しっかり覚えておきましょう。
第二次世界大戦と戦後秩序の形成、第5回。
今回は「敗戦国の処理」について学習します。