高校世界史B
5分でわかる!ドイツをめぐるトラブルの発生!
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この動画の要点まとめ
ポイント
ドイツをめぐるトラブルの発生!
これでわかる!
ポイントの解説授業
ポイントの1つ目は「東西ドイツの分裂」です。
戦後、連合国による分割占領を受けていたドイツをめぐって、ある トラブル が発生しました。いったい何があったのでしょうか?
戦後のドイツは分割占領されていた
少し復習です。第二次世界大戦後、敗戦国となったドイツは 連合国による分割占領 を受けました。国全体が東西に分けられ、米・英・仏が西側を管理し、ソ連が東側を管理しました。
また、首都 ベルリン も東西に分けられ、米・英・仏が西側を、ソ連が東側を管理することになりました。
西側ドイツで通貨革命!反発したソ連は・・・?
1948年、米・英・仏が管理する西側で 通貨改革 が実施されました。経済を再建するため、新しい通貨が発行されたのです。
この動きに反発したソ連は、米・英・仏に「嫌がらせ」を行いました。東側管理地区に位置するベルリンから、西側管理地区へとつながるすべての道路や鉄道を閉鎖したのです。これを ベルリン封鎖 といいます。
しかしアメリカ側はひるむことなく、物資を 空輸 する作戦を決行しました。1年以上にわたり、航空機で食料や生活用品を西ベルリンへ送り続けたのです。
ベルリン封鎖が行われた約1年間は、米ソ間でいつ戦争が起きてもおかしくない、と世界中に緊張が走っていました。
東西ドイツの分断と独立
やがてベルリン封鎖が解除されると、東西ドイツはそれぞれ別の独立国家となりました。 ドイツ連邦共和国 (西ドイツ)と ドイツ民主共和国 (東ドイツ)です。
西ドイツは、初代首相 アデナウアー のもとで「奇跡」といわれるほどの 経済復興 を成し遂げました。一方、東ドイツは経済復興を成し遂げられず、東西の格差が広がっていくことになりました。
このように、大戦後のドイツは米ソの冷戦に巻き込まれ、別々の国家として東西に分裂したのです。この流れをしっかり覚えておきましょう。
米ソ冷戦の時代、第3回。
今回は「米ソ両陣営の軍事ブロック」について学習します。