5分でわかる!ベトナムの独立を認めないフランス!

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この動画の要点まとめ
ポイント

ポイントの1つ目は「ベトナムの独立戦争」です。
第二次世界大戦後のベトナムの動向に注目します。
ホーチミンがベトナム独立を指導!

かつてベトナムは フランス領インドシナ連邦 としてフランスの支配を受けていました。しかし、第二次世界大戦が始まってフランスがドイツに占領されると、ベトナムには 日本軍が進駐 しました。

日本が降伏して第二次世界大戦が終結すると、ベトナムは日本の支配から解放されます。そして、ベトナム独立同盟(ベトミン)を率いる ホーチミン を指導者として、 ベトナム民主共和国 が独立を宣言しました。

ちなみに、ここでみなさんに1つおさえてほしいポイントがあります。それは、ホーチミンは 社会主義者 であったということです。アメリカvsソ連の対立構造でいうと、彼はソ連寄りの思想を持っていました。

この事実が後で大きな意味を持ってくるので、頭の片隅に入れておいてくださいね。
独立を認めないフランス!インドシナ戦争の勃発

ベトナム民主共和国の独立宣言に対し、ある国が意義を唱えました。 フランス です。フランスは、日本が撤退したいま、ベトナムに対する植民地支配を復活させよう!と考えたのです。フランスはベトナムに軍隊を送り、1946年に インドシナ戦争 が勃発しました。

戦争の途中でフランスは、北ベトナムに成立していたベトナム民主共和国に対抗して、南ベトナムに ベトナム国 を樹立しました。ベトナム国の首都はサイゴンにおかれ、 バオダイ が主席となりました。

ベトナム国はフランスの 傀儡政権。 つまりはフランスのあやつり政府でした。フランスはベトナムに対する支配を強めるため、ベトナム国を建国したのです。
フランスの敗北!インドシナ戦争の終結

1954年5月、フランス軍はベトナム北西部の ディエンビエンフー でベトナム軍に大敗しました。これをディエンビエンフーの戦いといいます。

この敗戦を受け、フランス国内では停戦の声が高まりました。そして、同年に開かれた ジュネーヴ会議 において ジュネーヴ休戦協定 が成立したのです。

この協定では 北緯17度線 を暫定的な境界線とすることや、統一選挙の実施などが定められました。
アメリカは反共軍事同盟を結成!

こうしてインドシナ戦争は終わりましたが、北ベトナムと南ベトナムの対立は北ベトナムが優勢です。そして冒頭でお伝えしたように、北ベトナム(ベトナム民主共和国)は 社会主義者 のホーチミンが指導しています。

このままではベトナム全体が社会主義国となり、社会主義の波が東南アジアに広がっていくかもしれない。そう考えたのが資本主義国 アメリカ でした。

ジュネーブ休戦協定の成立から間もなく、アメリカは 東南アジア条約機構(SEATO) を結成。これは社会主義(共産主義)の拡大を警戒した 反共軍事同盟 で、アメリカ・イギリス・フランスなどと東南アジア諸国が締結しました。

アメリカvsソ連の冷戦の影響は、東南アジアにまで及んでいたのです。

米ソ冷戦の時代、第5回。
今回は「東南アジア諸地域の独立」について学習します。