5分でわかる!インドの独立達成!
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この動画の要点まとめ
ポイント
ポイントの1つ目は「インドの独立」です。
長年イギリスに支配されていたインド。そんなインドがついに、第二次世界大戦後に独立を果たすことになりました。その様子を見ていきましょう。
ついにイギリスから独立!しかし・・・
1947年、インドは インド連邦 としてイギリスからの独立を達成。1950年には憲法が制定されて インド共和国 となりました。初代首相には、国民会議派の指導者 ネルー が就任しました。
しかし、こうして独立したインドは「本来の姿」ではありませんでした。実はインド連邦の独立と同時に、インドの一部地域が パキスタン共和国 として インド連邦とは別に 独立したのです。
パキスタンの指導者は ジンナー という人物。彼は 全インド=ムスリム連盟 の指導者でもあります。ムスリムとは イスラーム教徒 のことでしたね。
インド人の多数を占めるのは ヒンドゥー教徒 ですが、イスラーム教徒も少なからず存在します。ジンナーは、インドとは別に ムスリム中心の国 をつくろうとしました。つまり、宗教上の対立から、インドとパキスタンが分離独立することになったのです。
さらに、インド南部に浮かぶ島国 セイロン(現在の国名はスリランカ) も、インドとは別に独立しました。インドはバラバラに独立を果たしたというわけです。
インドとパキスタンの争い
インドとパキスタンは、成立後すぐに 第1次インド=パキスタン戦争 を起こしました。 カシミール という地域の領有権をめぐって争ったのです。こちらを見てください。
パキスタンの領土は、インドをはさんで東西に分かれていました(この状態を 飛び地 といいます)。そして問題のカシミールは、東西パキスタンの間、北インドに位置していました。
カシミールの住民の多くは イスラーム教徒 でしたが、カシミールを治める王は ヒンドゥー教徒 でした。そこで、カシミールがインドに属するか、それともパキスタンに属するかをめぐって、インドとパキスタンが軍事衝突したのです。
ガンディーが内戦停止を呼びかけるも・・・
そもそも、こうした対立が発生する原因はイギリスにあります。インドを支配するため、自国に都合の良い統治政策を展開してきたイギリスに責任があるのです。それなのに、インド人同士が争うのはおかしい!
そう考えた ガンディー は、インドとパキスタンの戦争停止を呼びかけます。また、彼自身はヒンドゥー教徒でしたが、ヒンドゥー教徒とイスラーム教徒の融和を必死に呼びかけました。
しかし、ここで悲劇が起こります。ガンディーは、同じヒンドゥー教徒の青年に 暗殺 されてしまったのです。青年は狂信的なヒンドゥー教徒で、イスラーム教徒との融和を説くガンディーを敵対視していました。
21世紀の現在でも、インドとパキスタンは対立しています。その対立は第二次世界大戦の直後から始まっていたのです。
米ソ冷戦の時代、第6回。
今回は「南アジア・西アジアの独立」について学習します。