5分でわかる!キューバ危機以降のアメリカ大統領の政策
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この動画の要点まとめ
ポイント
ポイントの1つ目は「ケネディとジョンソン」です。
アメリカの第35代大統領 ケネディ と、第36代大統領 ジョンソン の政策に注目します。
ケネディの政策
第二次世界大戦後のアメリカでは、トルーマン、アイゼンハワーに次いで ケネディ が大統領に就任しました。彼の時代に起こった重大な出来事といえば、前回の授業で紹介した キューバ危機 です。米ソの緊張が高まり、世界中が核戦争の危機に恐怖しました。
その反省から、キューバ危機の翌年、米・英・ソの3国は 部分的核実験禁止条約(PTBT) を締結。大気圏内・宇宙空間および水中での核兵器実験を禁止しました。
ただしこの条約では 地下実験 は禁止されませんでした。そのためフランスや中国からは、米英ソが核を独占する(他国の核実験を制限する)ための条約だとして批判の声が上がりました。
また、ケネディは ニューフロンティア政策 を実施しました。19世紀後半の西部開拓時代、先人たちは身を削って開拓地を広げていきました。ケネディはこの「フロンティア精神」を引き合いに出し、政治への協力を国民に呼びかけたのです。
黒人解放運動とケネディ暗殺
ケネディの時代には キング牧師 を指導者とする 黒人解放運動(公民権運動) が行われました。黒人は法的にはすでに解放されていましたが、依然としてアメリカでは黒人差別が根強く残っていたのです。
キング牧師は、インド独立の指導者ガンディーと同じく非暴力・不服従運動を展開しました。また、キング牧師は「私には夢がある」という有名な演説を行ったことでも知られています。
ケネディはキング牧師と会談し、公民権運動を進めていこうとしました。ところが、ケネディは任期途中の1963年11月、テキサス州ダラスで 暗殺 されてしまいました。
ジョンソンの政策
ケネディ暗殺後、副大統領だった ジョンソン が大統領に就任。彼はケネディの遺志を継いで 「偉大な社会」計画 を打ち出し、差別と貧困のないアメリカ社会を目指しました。
ジョンソンは黒人の地位向上につとめ、1964年に 公民権法 を制定。投票や公共施設の利用における人種差別を禁止しました。
ベトナム介入で財政悪化!国際社会からの批判も
国内では黒人の地位向上につとめる一方、ジョンソンは1965年から ベトナム戦争への介入 を行いました。ベトナムの社会主義国化を防ぐため、南北に分断されたベトナムのうち南ベトナムを軍事支援し、北ベトナムへの 爆撃 を行ったのです。
ベトナム戦争は長期化し、戦費はアメリカの財政を圧迫しました。また、米兵がベトナム市民に銃を向ける様子が新聞で報道されると批判の声が高まりました。こうして ベトナム反戦運動 が国内外で勢いを増し、国内では 黒人解放運動 とも結びついて、政権を批判する声が高まりました。
財政は悪化し、国際的な信用も低下。こうしてアメリカは、経済・政治・外交とあらゆる面で動揺することになったのです。
第三勢力の台頭と米ソの歩み寄り、第4回。
今回は「米ソ両大国の動揺」について学習します。