5分でわかる!毛沢東の復活!?
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この動画の要点まとめ
ポイント
ポイントの1つ目は「プロレタリア文化大革命」です。
前回の授業で学習したように、毛沢東は 大躍進 政策に失敗した後、その責任を取って国家主席を辞任しました。ただし彼はその後も、権力の復活を狙い続けていました。今回は、毛沢東が再び権力を握る様子と、対外関係の変化を学習します。
資本主義者を排除!プロレタリア文化大革命
第二次世界大戦後の国共内戦で国共内戦で勝利をおさめ、中華人民共和国のリーダーとなった 毛沢東 。彼は国内改革である 大躍進 政策に失敗し、大量の餓死者を出したことで、国家主席の座を退きました。
しかし、権力の復活をはかる毛沢東は、1966年から プロレタリア文化大革命 と呼ばれる運動を引き起こしました。彼は、劉少奇や鄧小平などを 実権派 、つまり「資本主義の復活を図る裏切り者」として批判したのです。
毛沢東を支持する学生たちは 紅衛兵 と呼ばれるグループを結成し、全国で暴動を起こしました。また、毛沢東の奥さんであった江青(こうせい)ら4人の人物は、毛沢東の権威を利用して権力をにぎりました( 四人組 )。
対外関係の変化
こうした状況の中、対外関係にも大きな変化が見られました。まず、ソ連との対立が激化したことで 中ソ国境紛争 が起こりました。両国の間を流れるウスリー川という川に位置する島をめぐる軍事衝突です。ちょうどキューバ危機のときの米ソのように、中ソの関係は一気に緊張しました。
中ソの軍事衝突を受けて、ソ連と対立する アメリカ は中国に接近しました。中国を味方に付けることで、ソ連との対立を優位に進めようとしたのです。
当時、中国代表として国連に参加していたのは台湾でしたが、1971年、国連総会でその代表権が 中華人民共和国に移されました 。
中国への接近を強めるアメリカは、1972年に ニクソン 大統領が中国を訪問し、中華人民共和国を事実上承認。アメリカにならった外交スタンスをとる日本も 田中角栄 首相が訪中し 日中国交正常化 を実現しました。
復活を図る毛沢東がプロレタリア文化大革命を起こし、劉少奇や鄧小平を失脚させようとしたこと。そして対外的には、ソ連との関係が悪化する一方、アメリカとの関係が改善されたこと。この2つをしっかり覚えておきましょう。
自立を強める東アジア、第2回。
今回は、中国の「暗黒」の時代について学習します。