5分でわかる!1980年代以降の韓国の情勢
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この動画の要点まとめ
ポイント
韓国の民主化が始まる!
開発独裁 を進めた朴正熙が1979年に暗殺されると、以降の韓国は次第に 民主化 していきました。1988年に大統領となった 盧泰愚 (ろたいぐ/ノテウ)は、朴正熙のように軍事クーデタで大統領になったのではなく、きちんとした選挙を経て大統領に選出されたのです。
盧泰愚は 民主化宣言 を行い、民主的で平和な国づくりを目指しました。彼の時代には 南北朝鮮の国連同時加盟 が実現し、世界中から祝福を受けました。
金泳三とアジア通貨危機
朴正熙や盧泰愚は軍人出身の大統領でしたが、盧泰愚の次に大統領となった金泳三(きんえいさん/キムヨンサム)は 文民 (軍人ではない人のこと)の大統領でした。このように1990年代には、民主政治がさらに進展していきました。
一方、金泳三の時代には アジア通貨危機 が発生しました。タイの通貨バーツの急落をきっかけに、東南アジアや韓国に広がった通貨危機です。韓国は財政破綻寸前まで追い込まれ、金泳三はその対応に追われました。
南北朝鮮の関係改善!
1998年には、金泳三に代わって 金大中 (きんだいちゅう/キムデジュン)が大統領に就任。もともと民主化運動の指導者であった彼は、北朝鮮に対する外交政策として 太陽政策 (包容政策)を打ち出しました。
これは、イソップ物語の『北風と太陽』にちなんだ政策です。あるとき北風と太陽が、どちらが先に地上にいる人間の服を脱がせられるか、という勝負をしました。北風は無理やり人間の服を吹き飛ばそうとしましたが、失敗。一方、太陽は気温を上げることで、人間に自分から服を脱がせ、みごと勝利したのです。
この物語にちなみ、金大中は北朝鮮に対し、「北風」のように圧力をかけたり武力を用いるのではなく、「太陽」のように経済援助や人道援助を行いながら、南北朝鮮の統一を進めようとしました。
金大中は北朝鮮との友好政策に力を入れ、2000年には北朝鮮の 金正日 総書記との間で 南北両朝鮮首脳会談 を実現させました。
以上、1980年代以降の韓国の情勢を学習しました。盧泰愚、金泳三、金大中。それぞれの大統領の時代にどんなことがあったのか、しっかり覚えておきましょう。
ポイントの2つ目は「韓国の民主化」です。
朴正熙が暗殺されたあと、1980年代以降の韓国がどのような歩みを見せたのかを学習します。