5分でわかる!開発独裁の行き詰まり
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この動画の要点まとめ
ポイント
ポイントの1つ目は「フィリピン・インドネシアの開発独裁」です。
東南アジアのフィリピンとインドネシアで、どのような政治が行われたのかに注目します。
まずは フィリピン から見ていきましょう。
マルコス大統領の開発独裁
戦後に独立を果たしたフィリピンでは、1965年に大統領となった マルコス が、反共親米路線をとりながら 開発独裁 を行いました。経済を成長させるため、強力な指導者が独裁政治を行うことを開発独裁といいます。
ただし結果として、マルコスのもとでフィリピン経済はあまり成長しませんでした。やがてフィリピンでは民主化を求める 反政府運動 が高まりを見せ、さらに少数派の イスラーム教徒 が暴動やテロを起こしたのです。
こうした事態に対処できず、マルコスは失脚することになりました。
スカルノ失脚!スハルト大統領の開発独裁
戦後に独立を果たした インドネシア では、初代大統領の スカルノ がしばらく政権を担っていました。しかし、1965年に起こった 九・三〇事件 と呼ばれる軍部クーデタを機にスカルノは失脚し、軍部保守派が実権を握ることになりました。
1968年には、軍人の スハルト が大統領に就任。フィリピンのマルコスと同じく、スハルトも反共親米路線をとりつつ 開発独裁 を行いました。
スハルトの時代には、反共組織として 東南アジア諸国連合(ASEAN) が結成されました。東南アジアの社会主義化を防ぐ目的で結成された組織ですが、次第に反共的な色合いは弱まり、現在では 経済協力 を推進する組織としての役割が主となっています。
ちなみにスハルトの時代には、インドネシアが支配する 東ティモール や アチェ などの地域で独立運動が激化しました。
最終的にスハルトは、1990年代後半に発生した アジア通貨危機 の混乱を収束できず、退陣することになりました。
フィリピンとインドネシアでどのような動きがあったのか、しっかり復習しておきましょう。
アジア諸地域の紛争、第3回。
今回は「インドシナ半島以外の東南アジア」について学習します。