5分でわかる!第1次・第2次中東戦争
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この動画の要点まとめ
ポイント
ポイントの1つ目は「第1次・第2次中東戦争」です。
この授業では、全部で4回にわたる 中東戦争 を一気に勉強します。
国際連合によるパレスチナ分割案
中東戦争の舞台となるのは、かつてイギリスの 委任統治 下におかれていた パレスチナ 地域です。この場所には アラブ人 と ユダヤ人 が住んでいます。イスラーム教徒とユダヤ教徒が混在する地域なのです。
第二次世界大戦後にイギリスの委任統治が終了すると、民族が混在するパレスチナ地域をどう扱うのか、という問題が発生しました。そこで国際連合は パレスチナ分割案 を発表し、アラブ人とユダヤ人でパレスチナを分け合うという提案をしました。
第1次中東戦争|アラブ諸国連盟vsイスラエル
当時、パレスチナの人口の約3分の2がアラブ人で、3分の1がユダヤ人でした。アラブ人の方が人数が多かったわけです。しかし、分割案では パレスチナの半分以上がユダヤ人に分割される ことになっていました。
アラブ人は分割案に反発しましたが、ユダヤ人はこれを歓迎し イスラエル を建国しました。その後、アラブ人たちが結成した アラブ諸国連盟 とイスラエルとの間で 第1次中東戦争 が勃発したのです。
この戦争はイスラエルの勝利に終わり、多くのアラブ人が土地を追い出されて難民となりました( パレスチナ難民 )。
第2次中東戦争|エジプトvsイスラエル・英・仏
1956年、エジプトの ナセル 大統領が スエズ運河の国有化 を宣言しました。ナセルはナイル川上流にアスワン=ハイダムの建設を予定していたのですが、その費用の援助をアメリカが断ったことを受け、建設資金の財源とするために国有化を宣言したのです。
かつてスエズ運河を買収したイギリスはこれに反発し、フランス・イスラエルを誘ってエジプトと戦いました。これが 第2次中東戦争 です。
エジプトは劣勢に立たされましたが、国連が即時停戦を決議し、また国際世論もエジプトを支持したことで、戦争は停戦となりました。戦争を戦いぬいたナセルは、アラブ諸国の英雄となりました。
以上、第1次・第2次中東戦争について勉強しました。戦争が起こった原因や、戦争を起こした国、戦争の結果をおさえておきましょう。
アジア諸地域の紛争、第5回。
今回は「中東戦争」について学習します。