5分でわかる!湾岸戦争、勃発
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この動画の要点まとめ
ポイント
ちなみにポイント1ではイランが舞台でしたが、今回は イラク です。名前が似ていますが、混同しないよう注意してください。
イラク革命の勃発/サダム=フセインの独裁
まずは地図でイラン、イラク、そしてクウェートの位置を確認しましょう。こちらを見てください。
第二次世界大戦後のイラクでは王政がしかれていましたが、1958年に イラク革命 が発生し、王政が廃されました。その後、1979年に サダム=フセイン が大統領に就任。彼は 独裁政治 を展開し、国民の自由を権力で制限しました。
ちなみにイラクには、シーア派とスンナ派、アラブ人と非アラブ人といった具合に、多様な民族・宗教が混在しています。そんなバラバラな国をまとめていくために、フセインは独裁という政治手法をとったのです。
イラン=イラク戦争の勃発
フセインが大統領に就任した1979年、隣国イランで イラン革命 が発生しました。ポイント1で紹介したように、革命の指導者は シーア派 のホメイニでした。
フセインは、革命の影響が自国に及ぶことを警戒しました。国内のシーア派が、イラン革命に影響されて、イラクでも革命を起こすことを恐れたのです。
そこでフセインは イランに軍事侵攻 し、シーア派の革命勢力を打倒しようとしました。このときイラクに手を貸したのが、イラン革命以降イランと対立していた アメリカ だったのです。こうして1980年に イラン=イラク戦争 が始まりました。
湾岸戦争の勃発
イラン=イラク戦争は長期戦となり、イラクは財政難に陥りました。その後、国連の仲介もあって、戦争は痛み分けというかたちで終結しました。
しかし1990年、なんとイラクは クウェートに軍事侵攻 を行いました。財政再建のため、クウェートで採れる石油を狙い、クウェートはもともとイラクの領土だと主張して攻撃したのです。
すると翌年、アメリカを中心とする多国籍軍が、イラクは侵略者だとして 空爆 を行いました。これを 湾岸戦争 とよびます。空爆を受けて、フセイン政権は崩壊することになりました。
このようにアメリカは、イラン=イラク戦争ではイラクを支援する一方、湾岸戦争ではイラクを空爆するという「手のひら返し」を見せたのです。アメリカに踊らされたイラクの動向、しっかり覚えておきましょう。
ポイントの2つ目は「湾岸戦争」です。
イラン=イスラーム革命がきっかけとなって発生した 湾岸戦争 について学習します。