5分でわかる!経済危機に立ち向かえ!アメリカ大統領の奮闘
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この動画の要点まとめ
ポイント
ニクソン|ウォーターゲート事件で辞任
1人目は、1969年に就任したニクソン大統領です。彼は金とドルの交換停止を発表し、これによりドルを中心とする国際経済体制は崩壊しました。
その後、ライバルである民主党の事務所に盗聴器の設置を支持したことが発覚し(ウォーターゲート事件)、ニクソンはアメリカ史上初、任期途中でアメリカ大統領を辞任することになりました。
カーター|人権外交を展開するも、ソ連との関係が悪化
2人目は、1977年に就任したカーター大統領です。彼は「人権外交」を提唱し、ソ連や開発独裁が行われている新興国において、人々の人権が抑圧されていることを強く批判しました。
カーターは米中国交の正常化を達成しましたが、任期中にソ連がアフガニスタンに侵攻したことで米ソの関係は悪化しました。また、1979年にはイラン革命の影響で第2次石油危機が発生。カーターはこれに有効な対策ができず、1期のみで大統領を退任することになりました。
レーガン|新自由主義を提唱し「小さな政府」を目指す
3人目は、1981年に就任したレーガン大統領です。彼は新自由主義を提唱し、「小さな政府」を目指しました。
彼が行おうとしたのは、簡単にいえば「経済に手を出さず放置する」政策です。1929年に始まった世界恐慌の際、フランクリン=ローズヴェルトは積極的に経済に介入しました(ニューディール政策)。これとは対照的に、政府が極力経済に関わらないようにするのが「小さな政府」です。
ただし、レーガンの時代には 日米間で経済摩擦(貿易摩擦) が発生。日本は自動車などの輸出が増えて黒字になる一方、アメリカは輸入が増えて赤字となったのです。こうしてアメリカは、財政赤字と貿易赤字を抱える「双子の赤字」状態におちいりました。貯金もなければ収入もない状態です。
この状況を打開するため、1985年、先進5カ国の蔵相が集まり、ドル高の是正(=ドル安政策を進めること)に合意しました。これをプラザ合意といいます。ドル安になれば、アメリカ企業にとって輸出が有利になるのです。
以上、3人の大統領とアメリカ経済について説明しました。レーガンの時代には、アメリカ経済はもはや瀕死状態だったのです。こうしてアメリカはソ連との対立を続けることが難しくなり、結果的に冷戦が終結へと向かっていくことになりました。
ポイントの2つ目は「米大統領の経済政策」です。
経済危機に立ち向かった3人の大統領に注目します。