5分でわかる!ソ連の「新思考外交」
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この動画の要点まとめ
ポイント
ポイントの1つ目は「新思考外交」です。
ソ連が20世紀末に展開した、新たな外交方針に注目します。
ゴルバチョフによる「ペレストロイカ」
今回はゴルバチョフ書記長に注目するのですが、その前にソ連の指導者をおさらいしましょう。これまでの授業ではスターリン、フルシチョフ、ブレジネフを順に紹介してきましたね。ちなみにブレジネフの時代には米ソ関係が悪化し、冷戦対立が激しさを増しました。
1982年にブレジネフが死ぬと、アンドロポフ、チェルネンコという指導者を経て、1985年にゴルバチョフが書記長に就任しました。ゴルバチョフはペレストロイカと呼ばれる、ソ連の自由化・民主化を目指す改革に着手しました。
原発事故をきっかけに「情報公開」へ
1986年、現在のウクライナにあたる場所でチェルノブイリ原子力発電所事故が発生しました。原子炉が融解し、大量の放射性物質が飛び散ったこの事故は「史上最悪の原発事故」と呼ばれています。
なんとこの事故は発生直後は公表されず、国民はもちろんゴルバチョフのもとにも、すぐには情報が届きませんでした。結果的に対策は後手に回り、被害も拡大。ソ連は国内外から強い非難を浴びることになりました。
ゴルバチョフは情報公開の必要性を痛感し、ペレストロイカ(改革)の重要な柱としてグラスノスチ(情報公開)の方針を掲げました。これまでは政府の機密事項とされていた情報も、一般の人々に公開されるようになったのです。
「新思考外交」
ゴルバチョフの改革は、国内のみならず外交政策にも及びました。彼は「新思考外交」と呼ばれる外交を展開し、アメリカも含む世界中の国々との共存を目指したのです。
ソ連は、1987年にアメリカとの間で 中距離核戦力(INF)全廃条約 を調印。1989年にはアフガニスタンからの撤退を完了させました。
また、フルシチョフの時代から対立を深めていた中国との関係を修復し中ソ国交正常化にも成功しました。
ゴルバチョフの時代、ソ連はアメリカをはじめとする西側諸国や、中国などへ歩み寄る姿勢を見せたことをおさえておきましょう。
経済危機と冷戦の終結、第2回。
今回は「ソ連の動向と冷戦の終結」について学習します。