5分でわかる!9.11の悲劇
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この動画の要点まとめ
ポイント
ポイントの1つ目は「対テロ戦争と経済危機」です。
冷戦終結後のアメリカが新たな課題に直面する様子を学習します。
自由貿易の促進
1989年、アメリカのブッシュ(父)とソ連のゴルバチョフは地中海のマルタ島で会談を行い(マルタ会談)、共同で冷戦の終結を宣言しました。こうして、戦後から続いていた米ソ冷戦がついに終結しました。
ただし、この時期のアメリカは別の課題を抱えていました。それは経済停滞です。1980年代、レーガン政権下のアメリカは貿易赤字と財政赤字の両方を抱えました(双子の赤字)。アメリカの経済は伸び悩み、なかなか回復の兆しが見えない状態だったのです。
そんな中、1993年に民主党のクリントンが大統領に就任。彼は経済成長のために自由貿易の促進を主張しました。1994年には、アメリカ・カナダ・メキシコの間で北米自由貿易協定(NAFTA)が発効。加盟国間での関税の引き下げや撤廃が実施されました。
自由貿易協定の締結により、アメリカ産の安価な穀物がメキシコに流入。メキシコでは多くの農家が倒産しました。そして農業を捨てた農家が都市労働者となり、労働者が増えたことで労働賃金が下がる、という事態も発生しました。
情報技術革命/経済が急成長!
1990年代のアメリカではインターネットが民間に開放されました。現在みなさんが当たり前のように使っているインターネットは、もともと軍事目的で開発されました。それが民間に開放されたのが、このタイミングだったのです。
アメリカでは、たくさんの企業がインターネットを用いたビジネスに参入。コンピュータや携帯電話が発達し、経済は急成長を遂げました。これを 情報技術(IT)革命 と呼びます。
インターネットを開放し、アメリカ経済を立て直した点において、クリントンは高い評価を得ています。
9.11テロ発生!対テロ戦争始まる
2001年、クリントンに代わって ブッシュ(子) が大統領に就任しました。彼はマルタ会談で冷戦の終結を宣言したブッシュ(父)の息子です。
ブッシュ(子)は、就任直後に大変な事態に直面することになりました。2001年9月11日、ニューヨークの貿易センタービルと、国防総省ビル(通称ペンタゴン)に旅客機が激突する同時多発テロ事件が発生したのです。
ブッシュ(子)は 「対テロ戦争」宣言 を発表すると、テロの主犯は国際テロ組織 アル=カーイダ であると断定。ちなみに、アル=カーイダを率いていた人物をビン=ラーディンといいます。
ブッシュ(子)は、アフガニスタンのターリバーン政権がアル=カーイダを保護しているとして、アフガニスタンを攻撃。米軍の攻撃を受けたターリバーン政権は崩壊することとなりました。
イラク戦争/日本はアメリカを支援
ここまでのアメリカの動きは、国際社会から広く理解を得られていました。しかし、その後アメリカが行ったイラク攻撃については、意見が大きく分かれました。
ブッシュ(子)は、イラクのサダム=フセイン政権が大量破壊兵器を保有しているため、その使用を阻止しなければならないと主張。2003年、イギリス軍とともにイラクを攻撃したのです。日本などはこの動きを支持しましたが、フランスなどは「ただの武力侵攻だ」としてこれを批判しました。
アメリカ・イギリス軍の攻撃を受けてフセイン政権は崩壊。イラクでは民主政治が行われるようになりました。このように、ブッシュ(子)時代のアメリカは、他国の賛同を得られずとも単独で行動する、強気の外交方針を取ったのです。これを単独行動主義といいます。
ちなみに日本では2003年、小泉純一郎内閣の時にイラク復興支援特別措置法が成立。これは自衛隊を派遣し、イラク戦争後の復興を支援することを定めた法律でした。ちなみに小泉首相とブッシュ(子)大統領は仲が良く「親友」のような関係だったとも言われています。
リーマン=ショック/G20の開催
アフガニスタンとイラクへの侵攻にかかる戦費は、アメリカの財政を圧迫しました。さらに、2008年にはリーマン=ショックともいわれる国際金融危機が発生。アメリカは再び経済危機に陥ることになりました。
金融危機の発生を受け、アメリカや日本など主要7カ国にロシアや中国などを加えた計20カ国の代表が集まる国際会議G20が開催されました。
以上、クリントンとブッシュ(子)の時代を見てきました。ブッシュ(子)の時代には「対テロ戦争」が始まり、クリントンの時代に回復した経済が再び悪化したことをおさえておきましょう。
経済危機と冷戦の終結、第4回。
今回は「アメリカの動向」について学習します。