5分でわかる!新たな経済政策へ…
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この動画の要点まとめ
ポイント
ポイントの1つ目は「イギリスとドイツの経済政策」です。
20世紀末のイギリス・ドイツの状況と、それぞれの国でとられた経済政策に注目します。
イギリス初の女性首相!サッチャー
1979年、イギリスでは保守党のサッチャーが首相に就任しました。ちなみに彼女はイギリス初の女性首相です。
サッチャーは、イギリスが抱える慢性的な不況(通称「イギリス病」)を克服するため新自由主義政策を推進しました。ちなみにこの政策は、同年代のアメリカ大統領レーガンと同じ政策です。
サッチャーは、イギリスの徹底した社会福祉(「ゆりかごから墓場まで」)や国有企業の運営などが、財政を圧迫する大きな要因だと考えました。そこで彼女は社会福祉の削減や、国有企業の民営化、そして自由競争の奨励などを行い、経済介入を最小限にする「小さな政府」を目指したのです。
フォークランド戦争に大勝利!
1982年、南大西洋に浮かぶフォークランド諸島をめぐって、イギリスとアルゼンチンとの間で争いが起こりました(フォークランド戦争)。イギリスが領有するフォークランドに、突如アルゼンチンが侵攻したのです。
サッチャーは大軍を派遣し、直ちにフォークランドを奪回しました。この勝利でサッチャーは、国内での人気を上昇させました。
ドイツ統一も、東西の経済格差が露呈
1982年、西ドイツではコールが首相に就任しました。彼の時代にはベルリンの壁が開放されドイツ統一が実現。西ドイツが東ドイツを吸収する形でドイツ連邦共和国が成立し、首都はベルリンにおかれました。
統一を果たしたものの、ドイツは東西の経済格差に直面することになりました。西ドイツはアデナウアー元首相の時代に奇跡とも呼ばれる経済復興を成し遂げましたが、東ドイツではずっと経済が低迷していたのです。
外国人労働者問題/ドイツ人失業者が増加
コール首相は、人件費が安い外国人労働者を受け入れ、低コストで製造した製品を輸出することで経済を立て直そうとしました。しかし、トルコ人などの外国人労働者が多数流入したことでドイツ人失業者が増加する結果となってしまいました(外国人労働者問題)。
職を失った人々は、外国人への敵対心を強めていきました。やがてドイツでは、排外的なネオ=ナチと呼ばれる政党が誕生しました。
以上、イギリスとドイツの動きを学習しました。それぞれどんな政策が行われたのか、しっかり復習しておきましょう。
経済危機と冷戦の終結、第5回。
今回は「西ヨーロッパ諸国」について学習します。