高校世界史B
5分で解ける!パレスチナ問題の行方に関する問題
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練習の解説授業
第4次中東戦争後の和平への動き
第4次中東戦争でイスラエルに敗れたエジプトは、財政的な理由もあって外交方針を転換し、イスラエルへ歩み寄るようになりました。1979年、両国はエジプト=イスラエル平和条約を締結。当時のエジプト大統領はサダトでした。
この条約でエジプトは、アラブ諸国の中で初めてイスラエルを公式に承認することになりました。ただし、他のアラブ諸国や国内の過激派は、サダトを「裏切り者」だと非難。アラブ諸国はエジプトと断交し、サダトは暗殺されてしまいました。
ついに解決!?パレスチナ暫定自治協定!
サダト暗殺後、エジプト=イスラエル平和条約にもとづき、イスラエルからエジプトへシナイ半島が返還されました。ただしイスラエルは依然としてパレスチナ人(パレスチナに住むアラブ人)への弾圧を緩めず、レバノンへ侵攻しパレスチナ解放機構(PLO)の本部を攻撃しました。
イスラエルによる支配に抵抗するパレスチナ人は、投石などを通じた抗議活動であるインティファーダを展開。この様子が報道されると、国際世論がアラブ人支持に傾くようになりました。
国際世論の後押しもあり、1993年にはパレスチナ暫定自治協定(オスロ合意)が締結されました。当時のイスラエル首相は ラビン で、PLO議長は アラファト です。
この協定にもとづき、パレスチナのガザ地区などでは暫定自治政府が成立。パレスチナ人による自治が開始されました。こうしてパレスチナ問題は解決へと向かっていくかに思われましたが、1995年にはラビンが暗殺され、イスラエルは和平へ消極的になっていきました。
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今回はパレスチナ問題の行方について学習しました。
内容を確認していきましょう。