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5分でわかる!稲作

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この動画の要点まとめ

ポイント

稲作

弥生文化1 単語2 稲作弥生文化1 ポイント2 稲作

これでわかる!
ポイントの解説授業

2つ目のポイントは、弥生文化の稲作についてです。

水田と農具の変化

高校日本史7 ポイント2 水田と耕作の表

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稲作と言っても、弥生文化の前半と後半では、多くの変化があります。
まず水田は、 自然の低湿地でつくられた湿田から、水路を引いて灌漑施設(かんがいしせつ)を利用する乾田に変わりました

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稲を育てるには大量の水が必要です。そのため、最初は水分の多い低湿地に湿田を作っていました。
しかし、次第に 川や池などから水路を作って水を引くようになりました。これを灌漑施設といいます
この灌漑施設によって、乾いた土地に必要な時にだけ水を入れることができるようになりました。これが乾田です。
乾田のほうが、作物の育ちがいいので、弥生文化の後半に広く使われるようになっていきました。

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農具は、 前期では木製でしたが、中・後期に入ると鉄製農具が主流になりました
細かい知識となりますが、木製農具はいくつかあり、田んぼに沈まないようにする田下駄や、田んぼの土を平たくするのに使うえぶり、肥料を田んぼに踏み込むための大足などがありました。
これらは使い方と名前をセットで覚えると良いでしょう。

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まずは 木製から鉄製に変わっていった 、という大きな流れをしっかりと覚えておきましょう。

栽培や収穫、貯蔵の方法の変化

高校日本史7 ポイント2 籾・収穫・脱穀・貯蔵の表

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栽培や収穫、貯蔵の方法も、弥生時代の前半と後半で異なります。
弥生文化前期には、田んぼに直接種をまく「直播」(じかまき)が行われていました。
直播で育てると、稲の育ち方がそれぞれ違ったため、収穫の際には、一本一本発育を確かめながら、磨製石器である 石包丁 (いしぼうちょう)を用いてとっていました。

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弥生文化後半になると、稲を苗代まで育ててから、きれいに田んぼに植えていく「 田植え 」が行われるようになりました。
これにより、稲の発育がある程度同じになり、収穫でも鉄鎌を使って一気にとれるようになりました。
前期と比べて、 収穫の効率がとても高くなった んですね。

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また、貯蔵のための施設としては 高床倉庫 (たかゆかそうこ)がつくられるようになりました。
なぜわざわざ床の高い、はしごを使わないと入れないような高床倉庫が作られたのでしょうか。
理由の一つ目は、 米を食べるネズミなどの侵入を防ぐこと です。
もう一つは、 湿気対策 です。米は湿気に弱いため、なるべく湿気の高い地面から離しておこうとしたんですね。

稲作のあとが残る遺跡を県名といっしょに覚えよう

高校日本史7 ポイント2 稲作の遺跡

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弥生時代に稲作が行われていたことがわかるのは、その形跡が残る遺跡が発見されているからです。
縄文時代後期の遺跡である福岡県の板付遺跡や、佐賀県の菜畑遺跡からも稲作の跡が見つかっています。
静岡県の 登呂遺跡 (とろいせき)が最重要ですが、余裕があれば他の遺跡も都道府県とセットで覚えましょう。

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稲作が前期と後期でどう変化したか、をしっかり押さえましょう。

この授業の先生

黒川 広貴 先生

「どこがテストに出るの?」「どうやって覚えたらいいの?」「どうしたら点数がとれるの?」という疑問に答え、着実に点数を伸ばすための授業を展開。

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