5分で解ける!ヤマト政権3(第1問)に関する問題
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この動画の問題と解説
問題
解説
問題1(1)
(1)は、391年、4世紀の終わりごろに日本(倭)のヤマト政権が朝鮮に出兵したできごとについての問題です。
朝鮮半島に出兵した目的は、半島南部の鉄資源と先進技術を手に入れることでした。
そのため、半島で勢力を伸ばしていた高句麗と衝突することになったのです。
このことは、 高句麗 の 長寿王 が 好太王碑 (広開土王碑)に残しています。
長寿王は難しかったかもしれませんが、好太王碑(広開土王碑)についてはしっかり押さえておきましょう。
問題1(2)
(2)は、ヤマト政権の 氏姓制度 についての問題です。
「 氏 」とは豪族の一族中心の集団であり、「 姓 」はそれぞれの氏に与えられる、身分・地位を表す称号です。
この氏と姓によって豪族の身分を統制していたので、 氏姓制度 と呼ばれています。
姓には 臣 ・ 連 ・君などの種類がありました。
このうち、物部氏や大伴氏に与えられた姓が 連 です。
ちなみに、 臣 は蘇我氏に与えられた姓でした。
氏姓制度はややこしく、皆が間違えるところです。
問題文自体を3回、4回と音読する、ということをしてみると、いい勉強になります。
問題1(3)
(3)はヤマト政権の地方官の問題。
ヤマト政権は政権に従う豪族に土地の支配権を与えました。
ヤマト政権によって置かれた地方官のうち、それぞれの土地のトップを 国造 と言います。
一方で、従わない豪族からは土地を取り上げ、ヤマト政権の直轄地として管理したのでした。
問題1(4)
(4)は6世紀に日本に伝わってきた仏教についての問題です。
日本に仏教を公式に伝えたのは、百済の 聖明王 です。
この仏教を日本の政治に取り入れるかどうか、ということで蘇我氏と物部氏が対立しました。
この崇物論争は、最終的に仏教を推し進める蘇我氏が勝利します。
その後、 蘇我馬子 は 物部守屋 を滅ぼして政治の実権を握り、仏教中心の政治を行っていきました。
今回はヤマト政権の確認テストです。
ヤマト政権のところは、原始時代と呼ばれる時代の一番最後です。
問題を解きながら、覚えていく、ということをしてきましょう。