高校日本史B
5分で解ける!ヤマト政権3(第2問)に関する問題
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この動画の問題と解説
問題
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ヤマト政権の確認テスト【一問一答問題】
解説
これでわかる!
問題の解説授業
問題2(1)
問題2(2)
(2)はヤマト政権の土地や人民の呼び名についての問題です。
皆が間違えるところなので、逆にここをしっかりと押さえれば、他の人に差をつけられるポイントになります。
朝廷の直轄地は 屯倉 、豪族の直轄民は 部曲 、直轄地は 田荘 と言います。
読みも重要です。それぞれ「みやけ」「かきべ」「たどころ」ですね。
ちなみにもう一つ、ここの問題にはなっていませんでしたが、朝廷の直属民が「 子代・名代 」ということも合わせて押さえましょう。
こんがらがるときは、以下のような表にして覚えるとよいでしょう。
朝廷(大王家) | 豪族 | |
---|---|---|
直轄地 | 屯倉 (みやけ) | 田荘 (たどころ) |
直轄民 | 子代・名代 | 部曲 (かきべ) |
問題2(3)
(3)は、6世紀にヤマト政権に対して起きた反乱についての問題です。
527年にヤマト政権が朝鮮を攻めようとしたところ、筑紫国造が新羅と結んで反乱を起こしました。
これを 磐井の乱 と呼びます。
(1)は、 倭の五王 についての問題です。
倭の五王 とは、5世紀ごろに中国に朝貢したヤマト政権の5人の王のことです。
中国の歴史書である 『宋書』倭国伝 に、讃・珍・済・興・武という名前で出てきます。
このうち最後の 武 が、ワカタケル大王や、後の時代に雄略天皇と呼ばれる人物です。この武王は、中国の皇帝から「安東大将軍」の称号を与えられています。
この 倭の五王 が朝貢した王朝は、 宋 です。
『宋書』倭国伝 に名前が出てくることから「宋」という王朝がわかった人もいるでしょう。