5分で解ける!飛鳥時代3(第2問)に関する問題
- 問題
- 問題
- 問題
この動画の問題と解説
問題
解説
問題2(1)
推古天皇の時代、603年や604年といった7世紀の初めには、従来の身分制度や地位を変える改革が行われました。
まずはA。
ヤマト政権の時代に、一族を中心とした「氏」に「姓」という地位を与える氏姓制度ができました。
推古天皇と聖徳太子・蘇我馬子は、603年、家柄ではなく個人に対して冠位を与える 冠位十二階 を制定します。
これにより、家柄に縛られず、能力ある人を官僚(役人)として登用できるようになったといわれています。
次にBです。
推古天皇たちは、604年、役人の心構えを示した 憲法十七条 を制定しました。
役人は人と仲良くしなさい、仏教を敬いなさい、天皇を尊重し敬いなさい、といった内容が書かれています。
「憲法」という名前はついていますが、現代の法律としての憲法とは異なる 、というところがポイントです。
問題2(2)
608年の遣隋使に同行した留学生・僧は、 高向玄理 (たかむこのげんり) 、 旻 (みん)、 南淵請安 (みなみぶちのしょうあん)の三人です。
小野妹子と共に隋に行き、隋の政治や仏教を学び、日本に帰ってきました。
高向玄理と旻の二人は、 乙巳の変 の後、政治顧問である 国博士 に就任します。
問題2(3)
孝徳天皇の時代というのは、いわゆる「大化の改新」が行われた時代、と考えると良いでしょう。
この孝徳天皇を補佐した皇太子は、 乙巳の変 を起こした 中大兄皇子 です。
乙巳の変を起こした人物、と言われればわかりやすいですが、今回のように孝徳天皇のとき皇太子だった人物、という形で聞かれても答えられるようになると、点数がもっととれるようになります。
他にも、 中臣鎌足 や蘇我石川麻呂など、乙巳の変に関わった者が重要や役職に就いています。
孝徳天皇と中大兄皇子は、中国の政治を真似て、中央集権体制と律令制を制定することを目指しました。
そこで出されたのが、公地公民制や班田収授を基本方針として盛り込んだ 改新の詔 です。
ちなみに、この改新の詔が出されたのは646年。乙巳の変の翌年です。
次に問題2、一問一答問題を通して理解を深めていきましょう。