5分でわかる!白村江の戦い
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この動画の要点まとめ
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皇極天皇、重祚して斉明天皇に。実権は中大兄皇子が握っていた
では、改新の詔が出された後、その続きから見ていきましょう。
孝徳天皇のあと、 皇極天皇 が再び天皇として即位しました。
一度退位した天皇が再度即位することを 重祚 (ちょうそ)と言います。
重祚後の治世では、皇極天皇ではなく、 斉明天皇 と呼ばれます。
実際には、皇太子の 中大兄皇子 が政治の実権を握り、政治をしていくことになります。
白村江の戦いで日本(倭)が大敗
658年から、阿倍比羅夫という人物が、東北にいた蝦夷(えみし)や粛慎(みしはせ)の征討に向かいます。
この頃の東北地方は、また朝廷に従っていなかったんですね。
この辺りは細かい内容なので、余裕があったら覚えましょう。
その後、663年に、日本(倭)・百済と唐・新羅の間で、 白村江の戦い という大きな戦いが起きます。
この戦いについて詳しく見ていきましょう。
まずは、地図を見てください。
白村江の戦い から3年前の660年、中国の唐と朝鮮の新羅が結んで、朝鮮の百済を攻撃し、滅ぼしました。
百済は日本に救援を要請し、日本はそれを受けて軍を派遣しました。
こうして663年に、日本・百済の連合軍と唐・新羅の連合軍が 白村江の戦い で激突することになりました。
結果として、日本はこの 白村江の戦い で大敗を喫しました。
この敗戦を受けて、日本は朝鮮からの攻撃を警戒し、様々な対策をとるようになりました。
九州の役所である大宰府を防衛するため、警備員である 防人 (さきもり)を送りました。
さらに、通信手段である烽(とぶひ、のろし)や、外的の侵入を防ぐための 水城 (みずき)という土塁、 朝鮮式山城 などを設置しました。
更に、中大兄皇子は、難波宮から飛鳥宮にいったん都を戻したあと、更に近江(今の滋賀県)の 大津宮 に遷都を行います。
そして、この新しい都で、中国式の律令に基づいた政治を行っていくことになります。
今回は 飛鳥時代 の4回目、飛鳥時代の後半に入っていきます。
1つ目のポイントは、 白村江の戦い (はくそんこうのたたかい、はくすきのえのたたかい)です。
特にアジアの地図を確認しながら学んでいきましょう。