高校日本史B
5分でわかる!天智天皇の治世
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この動画の要点まとめ
ポイント
天智天皇の治世
これでわかる!
ポイントの解説授業
律令制度制定に向けた天智天皇の動き
都を 大津宮 に移した後、中大兄皇子は 天智天皇 として即位しました。
即位以前も政治の実権を握っていましたが、更に活発に政治を執ります。
天智天皇は、即位した668年に、 近江令 (おうみりょう)を制定しました。
令 (りょう)とは、行政法など、刑法以外の法律のことです。ただし、この近江令は現存していないので、細かい内容はわかっていません。
ここでは、 天智天皇 のとき、近江の 大津宮 という都で、最初の令である 近江令 が制定された、ことを押さえておけばOKです。
669年、 中臣鎌足 が死去します。
天智天皇は長年のパートナーであった中臣鎌足が死去したことを受けて、中臣鎌足に「藤原」という名前を与えました。
後に政治の中心に長く座ることになる「藤原氏」がここに誕生したんです。
中臣鎌足は、645年の乙巳の変で中大兄皇子(天智天皇)と共に蘇我氏を滅ぼした人物でしたね。
670年には、最初の全国的戸籍である 庚午年籍 (こうごねんじゃく)が作成されました。
戸籍は、税制度や公地公民制の整備のために、欠かせないものだったのです。
この 庚午年籍 も、 近江令 と同じく、残念ながら現存はしていません。
このような 近江令 や 庚午年籍 は全て、律令制度を作っていくための準備だった、と覚えておきましょう。
2つ目のポイントは、 天智天皇の治世 です。