5分でわかる!天武天皇の時代
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この動画の要点まとめ
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「天皇=神」! 天皇の権威を強めた天武天皇
天武天皇 は壬申の乱で勝利し即位した後、都を 近江大津宮 (おうみおうつのみや)から大和(今の奈良県)の 飛鳥浄御原宮 (あすかきよみはらのみや)へと移しました。
大津宮に移る前も飛鳥に都があったので、戻る形になりました。
その後、大臣などを置かない皇親政治や、天皇の神格化など、天皇の権威を強める取り組みを行います。
天皇という呼称が使用されたのも、天武天皇が最初です。
ちなみに、この「天皇=神」という考え方は、昭和時代、戦争に負けて1946年に天皇が「人間宣言」を出すまでずっと続くことになります。
天武天皇による、律令制度をめざした諸政策
天武天皇は、681年に 飛鳥浄御原令 (あすかきよみはらりょう)を制定しました。
天智天皇が制定した 近江令 とは異なり、実際に施行されています。
さらに、天皇の系譜や歴史的事件を記した帝紀・旧辞の再編纂を命じます。これは、奈良時代になってようやく完成するので、今は「こういう命令が出されたんだな」という認識でOKです。
また天武天皇は、最初の銭貨である 富本銭 (ふほんせん)を製造あしました。
この 富本銭 は、お金として流通していた記録はありません。お金としてではなく、占いなどに使われていたと言われています。
天武天皇はもう一つ、 八色の姓 (やくさのかばね)という制度を作りました。
「姓」は、もともと豪族に与えられていた地位・身分を示す称号 でした。「臣」や「連」などがありましたね。
天武天皇が作った 八色の姓 は、この制度を見直し、豪族たちに新しい姓を与えるというものでした。
真人や朝臣といった姓が作られましたが、これらの名称は細かい内容で、あまりテストに出ることはありません。
このように天武天皇は、律令制度の制定のために政治改革を色々と進めました。
しかし、天武天皇は道半ばにして死去してしまい、天武天皇の后であった持統天皇が政治改革を引き継いでいくことになります。
1つ目のポイントは、 天武天皇の治世 です。