高校日本史B
5分で解ける!飛鳥時代6(第1問)に関する問題
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この動画の問題と解説
問題
一緒に解いてみよう
飛鳥時代4・5の確認テスト【穴埋め問題】
解説
これでわかる!
問題の解説授業
問題1(1)
660年、 唐 と新羅が手を結んで百済を滅ぼしました。
百済の救援要請に応えた日本は百済に軍を派遣し、 663年 、唐と新羅の連合軍と戦いました。
戦場となった百済の地名から、 白村江の戦い と呼ばれます。
ここで大敗したことから、日本列島への侵攻対策として、警備隊である 防人 や、朝鮮的山城などが設置されました。
問題1(2)
中大兄皇子は、孝徳天皇の時代から政治の実権を握っていました。
母である斉明天皇の没後、都を 近江大津宮 に移し、 天智天皇 として即位することになります。
この後、天智天皇は律令制度の制定に向けて、意欲的に政治を行っていきます。
問題1(3)
天智天皇の死後、その弟と子の間で後継者が起こり、内乱になりました。
672年に起きたこの内乱を、 壬申の乱 といいます。
天智天皇の弟である 大海人皇子 (おおあまのおうじ)が、天智天皇の子であった 大友皇子 (おおとものおうじ)を破り、 天武天皇 として即位しました。
問題1(4)
701年には、天武天皇の子である 刑部親王 や中臣鎌足の子である 藤原不比等 が中心となって、 大宝律令 を制定しました。
この大宝律令をもとに、律令制の政治が始まっていくことになります。
今回は、飛鳥時代後半をテストで確認していきます。
徐々に中国式の政治体制が整備され、政治の形態が変化していくポイントを押さえましょう。
天皇ごとに、どういう法律があり、どんな都に移ったのか、ということを整理して覚えることが大切です。