高校日本史B
5分で解ける!奈良時代2に関する問題
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練習の解説授業
蝦夷対策に作られた多賀城の鎮守府
聖武天皇の治世の最初の頃、東北の蝦夷対策のために 多賀城 が建設され、そこに 鎮守府 という役所を置きました。
政権担当者の変遷を確認しよう
長屋王が謀反の疑いをかけられ自殺した( 長屋王の変 )後、その長屋王を追いやって政治の権力を握った 藤原四氏 も、天然痘で全員亡くなります。
その後、政治の実権を掌握したのは 橘諸兄 でした。
橘諸兄を補佐したのは 玄昉 と 吉備真備 でしたが、二人を排除しようと藤原氏が大宰府で反乱を起こしました。
これが、 藤原広嗣の乱 です。
鎮護国家思想と墾田永年私財の法
藤原広嗣の乱後、聖武天皇は国を納めるために仏教の力を借りる鎮護国家思想にもとづき、各地に寺・尼寺を建てる 国分寺建立の詔 や、大仏を造る 大仏造立の詔 を発します。
また土地政策では、開墾地の永久私有を認める 墾田永年私財(の)法 を出しました。
墾田の「墾」の字は難しいので、何回か書いて覚えましょう。
聖武天皇の治世を見てきました。
盛りだくさんですが、一つひとつは難しい内容ではないので、丁寧に復習して、マスターしていきましょう。
聖武天皇の治世を、政権担当者の変化と共に、練習問題で確認していきましょう。